【6話】 NOT FOR SALE


砂川の口から語られる評価の数々は、
 
書いていない俺でさえ、耳を塞ぎたくなるものだった。
 
それはひとえに、その全てが残酷なまでに的確だったからだ。
 
砂川
「登場人物同士が、作用し合ってないんだよね」
 
砂川
「それぞれが自分の意思で勝手に動いてて、影響し合ってないんだよ」
 
砂川
「だから、読んでて1ミリも感動しない」
 
砂川
「人と喋ったことないんだろうなって奴の文章だね、これは」
 
砂川
「小説の前に、コミュニケーションから勉強した方がいいと思うよ」
 
喜一
「だから、これはまだ未完成なんだよ」
 
喜一
「ここから大きく展開するんだから、ごちゃごちゃと口を出すな!」
 
砂川
「たとえば?」
 
砂川
「具体的に、ここからどうやって展開するんだ?」
 
喜一
「それをこれから考えるんだよ」
 
喜一
「時間に縛られて適当に書いたって、良いものは生まれないだろ」
 
砂川
「時間をかけた結果がこれだろ?」
 
砂川
「なら、この先どう頑張っても巻き返せるわけがない」
 
砂川
「それにビジネスの場で、代案もないのに反論だけするなんて論外だぞ」
 
喜一
「俺はビジネスじゃなくて、芸術の話をしてるんだよ!」
 
砂川
「え? お前にとってこれは、ビジネスじゃないのか?」
 
砂川
「この歳で、まだ金にならなくてもいいとか開き直ってんの?」
 
砂川
「それに、いつの時代も芸術とビジネスはセットだったろ」
 
砂川
「歴史も知らずに語るなよ」
 
明るいはずの店内で、喜一の瞳孔は完全に開いていた。
 
心はぐちゃぐちゃに撹拌(かくはん)され、今にも飛び散ってしまいそうだ。
 
俺は、二人のちょうど“間”にいた。
 
芸術とビジネス。
 
センスとセールス。
 
矛盾した二つの感情がそのまま葛藤となって、あの頃の俺を走らせていた。
 
だが俺はもう、その戦いからは降りた。
 
尻尾を巻いて逃げたのだ。
 
だからこそ、二人が放つ言葉全てに「やめてくれ」と思った。
 
他ならぬ俺が、最も心を動かされていた。
 
喜一
「久弥、どうしてこんな奴に読ませたんだ」
 
喜一
「芸術も理解できない奴に、俺の何が分かるんだよ!」
 
喜一は、自分の芸術が印刷された紙を一心不乱に破き始めた。
 
店内は既に騒然としている。
 
止めに入る俺をよそに、砂川は顔色ひとつ変えずにこう言った。
 
砂川
「天才くん」
 
砂川
「早く大人になりなよ」
 
砂川
「キミだけだよ、キミのことを天才だと思ってるのは」
 
やれやれ、という顔で、砂川は席を立った。
 
喜一は砂川に殴りかかろうとしたが、
 
彼が伝票を手に取ったのを見て、それをやめた。
 
芸術が、ビジネスに敗北した瞬間だった。
 
×                      ×                      ×
 
それから俺と喜一は、しばらくその店にいた。
 
何を食べるでもなく、何を話すでもなく、
 
ただじっと、何かが過ぎ去るのを待つかのように座っていた。
 
すると、喜一が口を開いた。
 
喜一
「俺は、間違ってるのか?」
 
喜一
「ただ、自分が納得のいくまでやりたいだけなんだ」
 
喜一
「自分の才能を、突き詰めたいだけなんだ」
 
喜一
「それって、子供なのか?」
 
喜一
「ビジネスになれない芸術は、ゴミ以下なのか?」
 
喜一の目から、涙がこぼれていた。
 
久弥
「ごめん」
 
久弥
「お前は感謝してるって言うけど」
 
久弥
「元はと言えば、俺が喜一を苦しめたせいだ」
 
喜一
「そんなのはもう、どうだっていいよ」
 
喜一
「創作の原動力は、いつだって劣等感だ」
 
喜一
「俺にはもともとその“種”があって、たまたまお前がそこにいただけだよ」
 
喜一
「頼むから、もう謝らないでくれ」
 
喜一
「俺を小説家だって、いい加減認めてくれよ」
 
認められたい。
 
その気持ちは、俺も喜一も同じだった。
 
ただ、自分の作品が一番優れていると証明したい。
 
その戦いの末に、何が正しいのか、何が間違っているのか分からなくなって、
 
俺は人の作品を自分の手柄にして、
 
喜一は感情を金で買った。
 
決して、褒められたものではない。
 
俺は罪を犯したし、喜一は愛すべき人を苦しめた。
 
久弥
「結局、俺たちは人に認めてもらいたいんじゃない」
 
久弥
「自分に認められたいだけなんじゃないか?」
 
喜一が、ゆっくりと顔を上げた。
 
久弥
「芸術がどうとか、ビジネスがどうとか、そんなことは関係なくて」
 
久弥
「自分を認められた人間だけが、幸せになれる」
 
久弥
「砂川みたいに、最初からそれができる奴もいるけど」
 
久弥
「あいにく俺たちに、そんな機能は備わってなかった」
 
久弥
「だから何かを作るんだよ」
 
久弥
「何かを作って結果を出せば、いよいよ俺は俺を認めざるを得ないからな」
 
久弥
「人に勧められたものが良く見えるのと一緒で、」
 
久弥
「人が自分を良いと言えば、自分も自分が良く見えてくる」
 
久弥
「だからみんな、売れることを目指す」
 
久弥
「売れたらそれがビジネスになる」
 
久弥
「ただそれだけのことだ」
 
久弥
「そんなことのために、周りの人間を不幸にするのは」
 
久弥
「やっぱりアホくさいよ」
 
俺が自分に唱えていた呪文は、あながち間違ってはいなかった。
 
口で言うほど、自分を認めるのは簡単ではないが。
 
そのうち喜一は、バラバラになった自分の作品を拾い始めた。
 
何かを確かめるように、丁寧に。
 
喜一
「今また、心が動いた」
 
喜一
「これを完成させる」
 
それは、おそらく自分自身への言葉だった。
 
不用意な相槌で、喜一の心がなびいてしまわぬように、
 
俺は静かに彼を見つめていた。
 
それから俺たちは、どちらからともなく席を立った。
 
いや、どちらからとも、だった。
 
×                      ×                      ×
 
そんなの無理だ、と僕は思った。
 
90点は固いと思っていたテストが85点だった時も、
 
絶対に獲れると思ったフライをエラーした時も、
 
僕は僕を認めることはできなかった。
 
でもそこにいるのは、
 
85点しか取れない自分と、平凡なフライを獲れない自分。
 
それが、本当の自分。
 
今でも認めたくはない。
 
でも、それを認めることで幸せになれると、久弥は言った。
 
そのためにまず、この小説を完成させる。
 
分かってはいても、気が重い。
 
久弥から受け取ったデータを開いて、改めてそれと対峙する。
 
なんて退屈で、つまらない。
 
鮮度がない。
 
書き起こすことで成仏された感情の死骸たちが、液晶の上に転がっている。
 
どれだけ言葉を組み替えようと、書き直そうと、息を吹き返すことはない。
 
それでも。
 
こんなものしか書けない自分を認めて、前に進むしかない。
 
久弥、お前はどうなんだ?
 
お前は今の自分を認められるのか?
 
認めているのなら、ちょっと悔しいな。
 
やはり負けたくはない。
 
この小説を完成させて、お前に「面白い」と言わせたい。
 
そう思えば思うほど、完成は遠のく。
 
時間だけが過ぎる。
 
なんだ、この感情は。
 
たった完成を目指すだけで、こんなにも心は動くじゃないか。
 
それなのに。
 
それなのに僕は、玲子を――。
 
感情は言葉になる前に、涙となって流れていってしまう。
 
待ってくれ。
 
僕はこれを、言葉にしなきゃいけないんだ。
 
言葉にして、言葉にして、言葉にして――。
 
何度も逃げて、自分を連れ戻して、逃げて、連れ戻して。
 
いつしか、寝ることも食べることも忘れていた。
 
僕は、創作を出産に例える人間が嫌いだ。
 
出産の方が、何倍も苦しいに決まっている。
 
だが、そう言いたくもなるほどの途方もない苦しみが、
 
絶えず全身を駆けずり回っていた。
 
どこまでが昨日で、どこからが今日なのかも分からなくなった頃。
 
僕は、最後の句点を液晶画面に刻んだ。
 
――できた。
 
生まれて初めて、小説を最後まで書き上げた。
 
嬉しくはなかった。
 
幸せにもならなかった。
 
ハッキリ言って、クオリティは最悪だ。
 
完成させない方がよかったかもしれない。
 
ただ、これでやっと、僕は僕が生きた証を残すことができた。
 
今は、それだけで良しとしよう。
 
リビングへ向かうと、玲子は何も無かったかのように、コーヒーを淹れていた。
 
玲子
「お疲れさま」
 
僕は、玲子を心の底から抱きしめた。
 
何度も謝って、何度も感謝を述べた。
 
こんな情けない人間の書くものが、面白いわけがない。
 
だが僕はひとつ、小説を書き上げた。
 
今は、それだけで良しとしよう。
 
×                      ×                      ×
 
生活は、何も変わらない。
 
だが、変わったこともある。
 
「いらっしゃいませ」は「いらっしゃいませ!」になり、
 
「こちら温めますか」は「こちら温めますか?」になった。
 
完成へ向けて苦しんでいる喜一を思うと、
 
いつまでもbotのままでいるわけにはいかなかった。
 
運営していたチャンネルは、全て削除した。
 
更新を絶っている間に、登録者はほとんどいなくなっていた。
 
だが、中には俺を心配する猛者たちもいた。
 
『生きてますか? また更新待ってます!』
 
『中の人の感じ、意外と好きだったのにな』
 
こんな形で出会ってしまったことを、ひどく後悔した。
 
どうせなら、その言葉は他の人にかけてやってほしい。
 
自分を認めるため、今日も無謀な戦いを挑んでいる人たちに。
 
×                      ×                      ×
 
バイトが終わってスマホを見ると、喜一からの通知があった。
 
PDFデータだった。
 
急いで家に帰り、パソコンからデータを開く。
 
まずは最後のページを見る。
 
どうやら完結しているらしい。
 
評価も、値踏みも、するつもりは全くなかった。
 
文字を追いながら、喜一の苦しみを必死に追体験した。
 
細かな矛盾点もある。
 
誤字脱字も少なくない。
 
小説としてのクオリティを問われれば、首を捻らざるを得ない。
 
ただ、心をそのまま画面に刷り込んだような、剥き出しの感情だけがそこにあった。
 
最後の最後に至るまで、腑抜けた言葉はひとつもなかった。
 
俺は、なぜか安堵していた。
 
喜一は、無謀な戦いに真っ向から挑んでいた。
 
電話をかけようとして、やめた。
 
おそらく今頃、何日か分の睡眠を摂取しているはずだ。
 
今日、初めて友人の処女作を読んだ。

今は、それだけで良しとしよう。
 
(完)


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