【エッセイ】過去に書いた自分のエッセイに全く共感できない

久しぶりに、過去のエッセイを読み返した。

全くもって共感できない。

「共感を得たい!」と思って書いたものに、自分が共感できていない。

それだけ成長した、ということか。


まず、余計な注釈が多い。

結論めいたことを言ってるくせに、(もちろんこういう場合もあるので一概には言えませんが)みたいなことが追記してある。

いや「効果には個人差があります」か。

腰が引けすぎている。

マイキーが居たら「ひよってる奴いる〜!」って前に出されるぞ。


あと、つくづく「黙ってやれ」と思う。

「今を全力で楽しむためには、快感をつぶさに感じ取って、自己肯定感を保ち続ければ良いんだ!」的なことを、手を替え品を替え4つぐらいのエッセイで語っている。

いやいや、やればいいのよ。

やれば自ずと見えてくるから。

でもそんなことは今だから言えることであって、当時の路頭の迷い方を思い出すに、まあそうでも言っとかないと自分を保てないのも分かる。

あまりにも結果が出ていなかったから。

誰が演るでもない脚本をシコシコ書いて、フォルダにしまって、たまに読み返しては完成度の低さに悶絶する毎日。

まあ、しんどかったよね。

そんな日々を卒業した全ての明星圭太(チルドレン)たちに「おめでとう」と言いたい。

最近、エヴァに爆ハマりしている。


共感を得たかったし、誰かの原動力になりたかった。

それは今でもそう。

先日の舞台でお客さんに「自分も頑張ろうと思えました」的な感想を貰った時、心底嬉しかった。

あの頃の目標、叶ってるぞ。

そして何を隠そう、過去のエッセイを読んだ僕自身が、それに感化されてこうしてエッセイを綴っている。

多分このエッセイも、のちの自分には微塵も共感されないのだろう。

でもそのおかげで、新しい何かを書くはずだ。

(もちろん未来の自分が決めることなので、一概には言えませんが。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?