【エッセイ】櫻井翔 未来への言葉展

に、行ってきました。
(以下、大いなるネタバレを含みます)

もともと嵐のファンで、いわゆる”推し活”の一環として赴いた、この展覧会。
エントランスの待機場所には、壁面にポップな櫻井氏の近影の数々。
あ、嵐のイベントだ。懐かしいな〜。
まんまとエモ楽しい気持ちにさせられ、いざ中へ。

そこには、およそアイドルのイベントとは思えぬほどの、文字、文字、文字。
会員限定のブログで綴られたアーカイブの数々が、壁にびっしりと記されている。
来場者は一様に目を細めながら、その小さな文字を必死に追っている。
はっきり言って、推し活の一環で訪れたファンの全員が、その情報量に若干気圧されている感があった。
自分もその一人だ。
まさかこんなにも脳を、ましてや左脳を使わされる場所だったとは。

さらに奥へ進むと、”ジャーナリスト・櫻井翔”の軌跡を辿る展示の数々。
櫻井氏の大伯父にあたる櫻井次男氏が、いかに戦地に導かれ、いかに没したかを取材した記録が、当時の資料やメモと共に記されていた。
重い。あまりにも重すぎる。
カロリーが、という意味ではなく、戦争という事実が、だ。
義務教育で学んで以来、久しく向き合ってこなかった、日本が戦争をしていたという事実。
もはや「櫻井翔のイベントに来ている」という気持ちは完全に無くなっていた。
誰もがその資料を、言葉を、食い入るように見て、自分の中に取り入れようとしていた。
美術館や博物館に似た、能動的な鑑賞の姿が、そこかしこにあった。

しかしそんな中にも、随所に櫻井氏らしいユーモアを交えた展示が。
ファン垂涎の品物やエピソードがインターバルのように挟み込まれ、ここが楽しい場所であることを思い出させてくれる。
あ、そういうことだよな。
それらを見ながら僕は、櫻井翔というタレントを好きな理由に思いを馳せていた。

僕はそもそも、美術館や博物館といった類のものが苦手だ。
映画のように、明確な”感情の導線”がないからだ。
無作為に並んだ展示を見て、常に「何かを感じろ」と銃口を向けられている気がして、気後れしてしまう。
それは、ニュースに関しても同じことだった。
ただ伝えられる事実を見て、何を感じればいいのか、まるで分からない。
きっと多くの若者が、似たようなことを感じている気がする。
何を感じ、何を学び、どんな行動を起こせばいいのか。ニュースの中にそのヒントは少ない。
政治に関心を持てと言われても、関心の持ち方が分からない。
が、櫻井氏はそんな事実と僕らの間に、明確な”導線”を繋いでくれる。
毎週月曜、ごまかしの効かない生放送の報道番組で、僕らにニュースを伝えてくれる。
アイドル、そして等身大の若者であるという立場を活かし、「知るとはかくあるべき」というヒントを、僕らに与えてくれる。
あまりにも稀有な存在だ。
多忙を極めながら、全国紙の新聞を毎日全て読み、震災直後、まだ放射能の残る町に防護服を着て取材に赴く。
ただのインテリキャラのパフォーマンスではないことが、このエピソードを見るだけでも明白だ。

展覧会の中にも、随所に「点を線で結ぶ」という言葉がキーワードのように散りばめられていたし、
嵐の楽曲に登場する”サクラップ”の中にも「点」や「線」といった言葉は多く登場する。
だから僕らは、どんなニュースも身近に捉えることができるし、
嵐の辿った軌跡を、物語のように感動することができる。
”感情の導線”が、確かにそこにある。
だから僕は櫻井氏に、”推し”という言葉以上の賛辞を贈りたくなるのだ。
いろんな学びをありがとう。
いろんな感情をありがとう。
そしてそれ以上に、どんな時でもひたむきな姿勢を、ありがとう。

展覧会の最後、「未来の自分に手紙を送ろう」というブースがあった。
ここで書いた手紙が、一年後、自分のもとへ届くらしい。
僕は未来の自分に「点」を打つ思いで、言葉を綴った。
櫻井氏のようなひたむきさで、この一年を線で結ぶことが、今の自分にできるだろうか。

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