最近の記事

元JW2世として生きた幼少期

わたしは幼稚園(保育園)に行っていない エホバの証人として生きることを決めた母に とって、幼稚園は害でしかないからだ 誕生日、七夕、クリスマス… 列挙すれば無限とある行事をエホバの証人として 参加させる訳にはいかないからである 兄はバプテスマ受ける前だったので保育園に行った 田舎、かつ30年以上前なので誰でも行けた 3歳差のわたしは、1日たりとも通ったことはない 幼少期のわたしには憧れがひとつあった 遠足だ どうしても遠足に行きたかった 兄が遠足に行けることが羨ましく

    • わたし 2

      わたしは30代半ば アラフォーというのは少し抵抗がある 私の生まれた家庭は 父:一般人と見せかけてキリスト教徒 地方公務員 母:今も開拓者 専業主婦 兄:学生時代にフェードアウト バプテスマ受けてない 4人家族だった。 後ほど詳細については書くつもりだけど わたしが物心ついた時から集会に行っていたし 研究を家でしていた記憶もある おそらく1番古い記憶は集会中に 「エホバです」と注解して浴びせられた ラブシャワーだろう 未就学児期の記憶はエホバの証人関連しかない

      • わたし

        わたしは少し変わった家で育った。 普通が普通で通らない家 小学生の頃はそれが理由ではぶかれたし 中学生の頃はそれが理由で葛藤した わたしはエホバの証人を信じる母に 育てられた何も取り柄のない子だった。 かわいい訳でもないし 頭が飛び抜けて良い訳でもない 運動神経が良い訳でもないし コンプレックスだらけの子。 だから母に認められたくて エホバの証人としての宗教活動を 頑張ることしかわたしには残されてなかった。 エホバの証人、JWとも言う あの安倍総理暗殺事件をきっかけに

      元JW2世として生きた幼少期