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元JW2世として生きた幼少期


わたしは幼稚園(保育園)に行っていない
エホバの証人として生きることを決めた母に
とって、幼稚園は害でしかないからだ

誕生日、七夕、クリスマス…
列挙すれば無限とある行事をエホバの証人として
参加させる訳にはいかないからである

 兄はバプテスマ受ける前だったので保育園に行った
田舎、かつ30年以上前なので誰でも行けた
3歳差のわたしは、1日たりとも通ったことはない

幼少期のわたしには憧れがひとつあった
遠足だ
どうしても遠足に行きたかった
兄が遠足に行けることが羨ましくて
仕方がなかったので、リュックを出してもらい
お弁当を作ってもらい
家にあるお菓子と水筒とレジャーシートを入れ
玄関からいってきまーすと出た
自分の庭の芝生の上にレジャーシートをひき
お弁当とお菓子を1人で食べた
ささやかな遠足だったけど暖かい日差しをうけて
食べたお弁当は幸せだった

そんな子供騙しに騙されるくらいわたしは
奉仕活動と聖書研究ばかりさせられていた
そして眠くないわたしを無理やり昼寝させ
夜遅くまで集会に週2回(日曜日を入れると3回)に
連れて行かれていたのである



連れていかれていた奉仕活動
エホバの証人と言えば家に1人か2人の人が
訪ねてきて聖書についての話をして行く
まさにそれに連れていかれていた

 母は初め、ペーパードライバーだったので
わたしを自転車の後ろに乗せ連れていった
暑い日も寒い日も
 物心ついた時から連れていかれたので
何も疑問をもつことはない
それが当たり前の日常だから
園児がお散歩に行く代わりにわたしは
家から家に聖書のパンフレットを渡すために
歩かされる

 空を見ても花を見ても見つけたわたしをすごいね
と言われずにそれを作ったエホバ神がすごいね
という話を聞かされる
(エホバの証人の聖書ではこの世のものは
全てエホバという神が創造したという設定)

疑うことも無く、いやだと言うことも出来ず 
ただただ何も知らない状態のわたしを
洗脳していた母

他の子も同じだと思っていたけど
他の子が保育園幼稚園行ってたと気づいたのは
小学校1年生になってからだった。



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