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書くことがなくなる寂しさ

11月30日 点滴を中止する。

父親は、格段に起きている時間が減った。反応もあまりないので、それに伴ってここに書くことがなくなってきた。とても寂しいことだと思う。介護拒否や、本人に病気を宣告するかについて悩んでいた時期が懐かしくなった。懐かしいと言っても、まだほんの2週間前の話なのだが。

父親の腕は点滴の管が通っているにもかかわらず、勝手に激しく動いてしまっていた。抜けてしまったり、漏れてしまったりでトラブルが後を絶たず、ついに血管がもろく、点滴が一時入らなくなった。そこで2日間の間、点滴を休んで様子を見ることにした。

点滴を外した父親は、とても自由に見えた。本人は管が通っているかいないかは感じていないかもしれないが、家族には心身ともにのびのびとした姿に戻ったように見えた。2日間ならこの姿でいられるが、それ以上はまた脱水を引き起こしてしまうので、月曜日に点滴を入れなおすことになった。

妹が遊びに来たが、父親はずっと寝ていた。耳元で名前を呼んでも、まったく反応がなかった。午前中ははっきりしていて、たまに笑顔を見せていたので、もしかしたら疲れてしまったのかもしれない。

点滴を抜いたため、それまで夜間に二度血管から投与していた安定剤が、筋肉注射一回に変更された。しかし、この日の父親は本当に動かなかった。安定剤を入れるまでもなく、自分で眠っていた。看護師もびっくりして、「今日はいらなそうですね」と言っていた。いつもの何かを怖がるような動きや、飛び起きたりすることも全くなかった。症状が進行している証拠だった。父親は、確実に無言無動状態へ近づいている。


12月1日 ヤコブ病と診断されてから2か月が経つ。

5か月の姪は、ここ2か月で色々なことを覚えた。寝返りができるようになったし、ベビーチェアに座れるようになったし、離乳食も食べられるようになった。そして父親は、この2か月で沢山のことを忘れた。文字の読み方、書き方、話し方、髭剃りの仕方、耳掃除のやり方、自分の生年月日、令和を迎えたこと、箸の持ち方、スプーンの使い方、排泄の仕方、食べ方、飲み方、座り方、そしておそらく自分の名前や、今置かれている状況も忘れてしまっているだろう。天井を見てずっと寝ているだけになってしまった。

今日はほとんど目を覚まさなかった。「ア...ア...」と意図しない声をひっきりなしに出しながら、眠っていた。声が出続けてしまうので、のどがカラカラに渇いていた。スポンジで何度も何度も掃除し、マウスウォッシュで口の中を湿らせたが、無駄だった。介護士から濡れマスクを使ってみては、と指南を頂き試してみたが、動いた手にひっかかってすぐにとれてしまった。

今日、私は一旦家に帰ることになった。施設にずっといては気が滅入ってしまうだろうと、伯母が代わりに泊まりに来てくれた。祖母と買い物をし、その後気の済むまでゲームセンターで一人で遊んだ。帰宅して久しぶりに祖父母と一緒に食卓を囲み、テレビを見て団欒した。テレビが大好きな祖父母は、少しでも気がまぎれたようで、安心した。

点滴が挿せなくなったら、父親を自宅で看ようという話が出ているが、死の淵にいる息子が隣にいたら、この祖父母のわずかな団欒の時間もなくなってしまうのではないか、と不安になった。そうなると、今度はすぐ祖父母の番になってしまうのではないか、とまでどうしても考えてしまう。

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