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第三者のありがたみを知る

10月11日 第三者のありがたみを知る。

朝、ずっと話してみたかった相手と、間接的にだが話ができた。岐阜大学でクロイツフェルト・ヤコブ病の治療薬の研究をしている、桑田一夫シニア教授だ。岐阜大学の広報課は、快く代理で先生へ質問してくれた。私が聞きたかったのは、①治療薬は本当に存在しないのか。②現時点ではないならば、どれだけ待てば開発されるのか。③実験体としてでもいいので、父親に投薬はできないか。この三点だった。③については、もう藁にでもすがる思いで捻りだしたものだった。

①治療薬は本当に存在しないのか。―治療薬は、やはり現時点では存在しない。製薬会社と打ち合わせをしていたり、動物で実験している段階である。

②どれだけ待てば開発されるのか。―はっきりとは言えないが、1~2年延命できれば、という話では到底ない。少なくとも5年、それ以上はかかる。

③実験体としてでもいいので、父親に投薬はできないか。―それは不可能。安全とわかっていない実験段階の薬を、いきなり人に使用することは、常識的にも人道的にも医療的にもアウト。

すべて、分かっていた答えが返ってきた。このことで、逆にすっきりした。プリオン病研究の権威である桑田先生が死に物狂いで研究しても、治療薬の開発には時間がたくさんかかるんだ。それほど恐ろしい病気なんだ。そんな病気に、父親は偶然かかったんだ。それならば、もう諦めるしかない。私はやっと夢から覚めることができた。可能性をすべて捨てることができた。涙は、出なかった。

自分が窮地に陥った時、第三者として状況を俯瞰できる人のサポートがあると、非常に心強いとわかった。特に指定難病申請であたふたしていた時に相談に乗ってくれた大学時代のA先生、近所で開業医をしている、代々家族がお世話になっているS医師、この投稿を見てコメントをくれた友達、入院先の病院の相談員のTさん、「娘さん、お父さんにそっくりね」と父親にいつも声をかけてくれるヘルパーの方々。いま、すべてが私の心と精神の支えになっている。

特にA先生には在学中によく相談に乗ってもらっていて、両親の離婚とそれにまつわる親戚内のごたごたや、そんな家庭の中での自分の存在意義について分からなくなり、悩んでいた時期に手を差し伸べてくれた人だった。昨年に亡くなったお父様はパーキンソン病で、プリオン病と同じく指定難病だった。難病申請について色々と段取りを相談し、病気による認知症との向き合い方でも色々と意見交換ができた。

S医師のお父様が開業したS医院は、先代より家族が代々お世話になってきた。もちろん今でも交流は深く、父親の病状がくわしく発覚したのも、このS医師が大学病院を紹介してくれたおかげだ。私は少し風邪気味だったので、薬をもらいにS医院を訪れたのだが、やつれた顔を見てまず看護師の奥様にカウンセリングをしてもらい、その後S医師は30分ほど話す時間を与えてくれた。結果的に、とても楽になった。S医師はただうなずいて、私が淡々と顛末を話す様子を見て、聞いていた。最後は、S医師のほうが涙を浮かべて「あなたがしっかりしているから、お父さんも安心だね。」と言った。

こうした多くの人々に、私は支えられて生きていた。父親がこんなことにならなければ、私は一人で生きていると錯覚していた。私の周りには大勢の人がいて、皆が皆、ベストを尽くしてくれている。私一人が頑張るんじゃなくて、それでいいんじゃないか、そう思えた。

今日の父親は、夕食をすこし吐いて戻してしまった。カレーなどが出て、汁気が多かったから吐いてしまったと言った。しかしカレーなど、出ていないのだ。さっき食べていたときはちゃんと「この麻婆豆腐、おいしい」と言っていた。

父親の病気の進行はかなり早い。だからこそ、意識がぎりぎりもっているうちに、早めに自宅に連れてきてあげたい。父親の喜ぶ顔がもっと見たい。

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