特許

会社の不調和を暗示する特許

たまには、諸手を挙げて賛成しかねる書籍も紹介したいと思います。もっとも、僕自身がいささか理解している分野では、少々手厳しい論評になってしまうことご容赦ください。本書はそれなりに引かれる出来栄えでした。
※冒頭画像は、末尾のリンク先からの借用です。特許と言うと難しいですが、発明に関する話題は楽しいものばかりです。リンクも面白い記事です。

特許の独占権とは、発明の公開を促すため

特許を出願するかしないかは重要ではありません。大切なのは、特許をどれだけ戦略的に利用できたか、です。この考えに(面と向かって)反対する専門家はいないと思います。確かに、その「専門家」と称される弁理士稼業の人に相談すれば、特許を出しましょう、商標も出しましょうなどと、あれやこれや薦められるかもしれません。それもそのはず。出願件数に比して、弁理士の収入が増えていくのです。しかし、著者の態度は少々異なります。出願せずにすむなら、しない方がいい、と。なぜなら、特許出願とは、発明の公開に他ならないからです。

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出願数が「バカみたい」に多い日本

特許出願数が、日本企業の競争力あるいは国の研究開発力の指標として目安にされています。そのゆえ大企業では、特許出願件数そのものがノルマ化されています。このおかしな状況は、著者が指摘する通りです。その成れの果てに、十数年前ブームになった「休眠特許」の話題が生まれたのです。休眠状態から呼び覚まそうと、活用に着目したのは素晴らしいことだったのですが、問題の根本はなぜそのような不良(知的)資産が積み上がってしまったのか、です。しかも、特許の中身がいただけません。当時、僕も関わったので痛感させられましたが、弁理士の誘導にしたがったかのような細切れ特許が山のように出願されていました。冒頭で挙げた弁理士側の利害も絡んでしまうため、悪意はなくても、特許は無駄に増えていきました。

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発明とは、公開(出願)すべきか否か

ところで本書のタイトルは、有名な商品を引き合いに出しています。伊右衛門とコカ・コーラ-の知られざる裏話でもあるのかと思って期待しましたが、何のことはない、コーラーのレシピはたった二人だけしか知らないという伝説めいた話を例に挙げ、特許出願しない戦略もあると結論づけています。著者はおそらく、狂ったように特許出願していた日本企業に警鐘を鳴らしたかったのだと思いますが、タイトルに関わる部分が(深堀りされることもなく)あまりに浅い内容だったのはいただけません。

大企業にとっての特許とは、国を防衛するミサイル配備に似た面があります。ミサイル網全体を取り上げ、役に立ってるのかと批判したところであまり意味がありません。誤解を恐れずに言えば、著者は、(北朝鮮のように)核兵器があるかないか曖昧な状態にしておくことこそ有効だと主張しているのでしょう。それも一理あるのでしょうが、内部告発や内部漏洩があった場合、どうするのでしょうか。秘匿化することが簡単なら、どこの企業もこんなに苦労しません。「大切なアイデアを『見せない、出さない、話さない』という方法でしっかりガードし」とは、企業の開発現場に身を置いた方なら、限りなく不可能に近いと分かるはずです。もっとも、製造設備や製造方法について(特許を敢えて出願しないという著者)の指摘は正しいです。これは昔から普通に言われてきたことでもあります。こちらがたとえ特許を取得していたとしても、模倣者の生産ラインに乗り込んで行って証拠を押さえるのは厄介です。それゆえに、特許を出さないままで(情報が漏れるまでの)時間を稼ぎ、設備を進化させていく方が合理的なのです。

事業の視点で発明を考える

僕個人の考えで締めます。一番大切なことは、何のために特許を出しておくのか、開発者ではなく、事業者に判断させることだと思います。同時に、特許相当だと社内の知財部が判断し、開発者を評価してあげられれば件数主義に陥ることはありません。このシンプルな僕の提案なら、無駄な特許出願が抑制されて、特許の利用方法も丹念に議論されるはずです。僕が知財に関わっていたひと昔前まではそうなっていませんでした。特許を出願することが発明者の仕事で、知財部はそれを管理するだけ。事業者は特許の権利化状況を聞かされるだけでした。今日のモノづくり企業の現場はどれだけ改善されたのでしょうか。


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