知的財産

知財の「力」を把握しておきましょう


知的財産という、完全な「人為的」制度を駆使して世界に覇を唱えた国があります。アメリカ合衆国です。しかも彼らは、単なる産業政策としてこれを利用したのではなく、憲法にも記載することで、みずからの国の成り立ちの一部とした点が注目に値します。そんな知的財産を学ぶのに、本書は良書です。マンガ解説ではありながら、中身は薄っぺらくありません。冒頭画像や本文中に同書の画像を引用しています。

科学の発展は、個人の独占か、社会への普及か

自分の理解でもう少し表現すると、日本や欧州が、産業政策の目的で知的財産を保護するために、様々なバランスに配慮しています。一方、アメリカ(米国)は、科学の発展や個人の財産に寄与するという観点で、社会や個人にとって保護されるべき当然の権利だと位置づけています。もし後者であるなら、幼少の頃から発明が推奨され、新しいアイデアを個人の財産として尊重する雰囲気が生まれてくる、つまりアメリカがベンチャーのお国柄を有するのは当然のことでしょう。逆に、僕自身が親しんでいる中国では、かつて発展途上であり、下請けである期間が長かったため、「真似をして何が悪い」という風潮が十年前までは支配的でした。そんな中国も、知的財産重視に大きく舵を切り、いまや知財大国に変貌しています。僕たち日本人が、米中市場を狙って奮闘する場合は、もっともっと知的財産を学んでおく時代なのかもしれません。

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知的財産と、それをおちょくるパロディ

さて、本書の記述の中から、まずはパロディを取り上げてみましょう。パロディとは、元の作品の要素(または権利主体の特徴)を明らかに残したまま、それを風刺・批評・茶化すなどの目的で二次創作したものを指します。そうしたパロディとしては、興味深い裁判結果が出ています。フランク・ミュラーならぬ、フランク三浦という、俗に言われるパロディ側の商標の有効性を認めたものです。実際の判決は、知財高裁の判決に不服をとなえたブランド側が上告し、それを最高裁が退けるというカタチで確定しました。知財高裁とは、東京高裁の特別支部で、2005年にできたばかりの知的財産専門の裁判所です。その知財高裁が、特許庁の判断をひっくり返し、パロディ側を逆転勝訴させたなどと話題になりました。重要なのは判決理由です。フランク三浦が取得した商標を無効とした特許庁判断に対して、「語感は似ているものの、商品デザインや価格帯が明らかに違う」とし、商標の本質的なところを争った上で結審しています。

商標とは、申請者みずからが業務に関わる「文字、図形、記号、立体形状、もしくは色彩又はその結合、音その他法令で定めるもの」です。商標とは、消費者やユーザーとの大切な接点であり、たとえば企業や商品のイメージを守ることや、消費者が騙されないことにつながります。商標は、他と明確な識別のできることが最重要要件です。この点でいくと、特許庁の最初の判断(審決)は、必ずしもおかしいとは思いません。「フランク三浦」商標の権利者側も、みずからパロディであることを認めているわけですから、識別しにくくする(=わざと似せる)意図はあったのです。しかし、そこがポイントでした。パロディには必ずマネをする対象がいる。マネてはいますが、それを消費者側は識別できるという前提に立ってこそ、パロディの面白さや存在意義がある。ここが本質でした。真似るつもりでマネて、それでも消費者は混同することがないと考えていたそうです。

知的財産の扱いは「フェア・ユース」で

諸外国の例を見ておきましょう。たとえば、米国では「フェア・ユース」の原則の中で許容されるパロディのあり方が示されています。また、パロディに寛容と言われているフランスでは、商標法に認められていることではないらしいですが、表現の自由という憲法の角度からパロディを擁護するロジックが成り立っているみたいです。話を日本に戻しますが、この訴訟をどう判断するかは日本の条文に照らし合わせても非常に難しいものだったと思います。しかし簡単に言えば、フランク・ミューラーがあっての、フランク三浦であるが、消費者はフランク三浦をもって、フランク・ミューラーと誤認することはないだろう、と。パロディ側の商標は、形式的にはそのまま認められるべきである、とも。そもそも両者の価格帯や販売場所がまったく異なるわけで、たとえパロディだと思われても、それでフランク・ミューラーのブランド価値が毀損されることはない。ざっくりと言えば、こんな判断だったのでしょうか。

知的財産とは、人が勝手に線引したルールです。生命に関わる自然に備わった権利の話ではありません。それゆえに、今日的な意義としてはどうなのか、形式的だけでなく、本質的な議論がなされてほしいものです。本書で好感がもてるのは、本中に登場するキャラクターをわざとミッキーマウスに似せておきながら、「それがばれたら本書(知財の解説本)が知財で訴えられる」と騒いでいるコマを設けていることです。同人誌についても同様です。違法だと書きながら、それを許容する権利者側の意義にも触れ、パロディをする側とされる側との共鳴で、原作品(原権利者)に得があることを説明しています。ユーモアは、気楽に楽しめばいいのであって、わざわざ目くじらを立ててパロディ商標を潰しにかかる行為は、行き過ぎていると暗示しているのかもしれません。

いくつもの裁判を経て、知財制度が定まっていく

最後に、マリオカート裁判について。これも知財の格好の教科書になった裁判事例ですが、知財高裁(二審)で結果が出されました。こちらは商標法ではなく、不正競争防止法です。下記は、上記リンクからの引用です。

任天堂はマリカー社(当時)の公道カートレンタル業について、任天堂のゲーム『マリオカート』の略称として認識されている名称マリカーを社名に用いたうえ、マリオなど任天堂キャラクターのコスチュームを貸し出して撮影した写真や映像を無許可のまま宣伝・営業に利用していることから、著作権侵害・不正競争行為にあたるとして、2017年に差し止めと損害賠償を求める訴訟を提起していました。

知財高裁曰く、キャラクターの衣装貸し出しの禁止や「マリカー」などの標章をカートや広告から消し去ること、そして賠償金も増額となり、5000万円に上乗せされました。もともと「マリカー」の商標は、カート運営事業者が取得していました。ブランド側(任天堂)は、一審にて商標を無効化させることはできませんでしたが、不正競争防止法の枠組みで見事勝訴。著作権で対処しきれなかった案件を、商売正義という観点で逆転につなげられたのでした。「マリオカート」の商標権があったとしても、任天堂のキャラクター効果(知名度や吸引力)を勝手に利用したのは明らかだというわけです。判決は、納得できるものだと思います。ただし知財紛争はあくまで正義をめぐる戦いでないという点だけは知っておいた方がいいかもしれません。関係者の利害のバランスを図る場であるのです。

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