拝啓母を亡くしたあなたへ⑤〜流産〜

何故だかわからないけど、私は小学生の頃からずっと、自分の子どもに会ってみたいという思いが強かった。それに、早くに結婚して若くしてお母さんになりたいと思っていた。


母が亡くなって7年後。21歳

この人だ!と思った人と結婚する事に。その少し前、全身が痒くて痒くてたまらなかった。身体の異変に気付き、ネットで検索...妊娠した時にかゆみが出る人もいるとのこと。まさか!と思い検査をすると

陽性!

父には結婚の報告と、妊娠の報告が同時になってしまった。末っ子が1番先に結婚、妊娠、となれば驚いたに違いない。

初めての産婦人科。検診では袋があるから妊娠だね、母子手帳は市役所に行けばもらえるからね。と言われ、念願の我が子と会える日も遠くないと思うとワクワクした。それから、産婦人科の先生はこうも言った。「どうする?産むの?」まだ籍は入れていなかったからたずねたのだろう。早速母子手帳を受け取りに行った。母子手帳といえば、母は成長記録のように使っていて、喋った言葉や行動など、4人目の私の母子手帳にもたくさんの言葉が記録されていた。これは下の子になるほど少なくなっていくアルバム写真とは異なり、末っ子の私にとってはとても嬉しい記録である。

2回目の検診。前回と同じく、ベットに横になりエコーでお腹の様子を見た。

「まずいなぁ...」

心拍が動いていないようだ。袋のなかでピコピコ動くはずなんだけど〜、と先生。

「あ〜だめだ。」

???

この時期は心拍が確認できるかどうかがとても大事らしい。しかし、今回心拍が確認できない。お腹の中で赤ちゃんの心臓が動いていない、手術が必要だから紹介状をかくからね、と先生。私は状況が飲み込めない。感情も出てこない。心臓が動いてないって死んでるってこと??

後になって涙が出てきた。

また大切な人の死。念願の赤ちゃんが死んじゃった?!たまたま見た時に心臓が動いてなかっただけじゃない?!なにか方法ないの?!生き返ったとかあり得ないの?!一体何が起きてるの...。

紹介状を貰って帰宅。

いろんな思いが込み上げてきた。妊娠したら何事もなく出産できるのだと思っていた。タバコを吸ってても、お酒を飲んでも、無事に生まれてくる子はいる。なのにどうして....。

父や夫にどう話したか全然覚えていない。ただ、手術までの数日間は仕事を休みひたすら泣いていたことだけ覚えている。

なんで私だけ死に直面するの?


手術の日。子宮口を開くための作業から始まった。痛すぎてあまりにぎゃーぎゃー騒いだので局部麻酔で済むはずが、全身麻酔に。手術台で腰に注射をした。少し痛いから手を握っていていいですからね、と看護婦さん。想像を超える痛みに遠慮なく看護婦さんの手を掴んだ。手術を終えてからしばらくして目が覚めた。病室のベットだった。身体が痛かったとか、そういったことは全然覚えてない。手術が終わったからこれで安心、と思っていた。

初めての入院が終わり、無事退院。熱がでたり、体調が悪くなったら病院に来てくださいと言われた。

数日後、夫の両親が会いにきてくれた。初対面となる。(確かこのタイミングだったと思う)どうも身体がしんどい。初対面だし気を張ってて疲れたのかな?と思っていたが病院に行く事にした。そして即入院。入院すると、しばらくして耐えられない腹痛が起き、様子を見に来てくれる看護婦さんたちも慌てていた。原因がわからないので痛み止めの点滴が始まった。翌日、CTで調べることに。CTの造影剤が身体に入ると、うぅっ....っと気持ち悪い。

結果、胞状奇胎と判明。ぶどうっこともいうらしかった。本来赤ちゃんを守ってくれる絨毛が伸びすぎて赤ちゃんが育たなかったらしい。また手術をする事になった。(また全身麻酔だったような?段々記憶があやふやになってきている。)手術が終わり、長い入院生活がやっと終わった。ベットの上にいることが多かったので筋肉が落ち、足がかなり痩せた印象。夏だというのに外に出てないから真っ白な肌にびっくりした。


つづく

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