人に伝える能力

大学の3年まで、多くの時間を基本的には一人で過ごしていた。
「そのおかげ」で向上した能力と、「そのせいで」不足している能力とがある。
今回は、「そのせいで」のはなし。

“そのせいで”、「他人との会話の中で自分の考えていること(オリジナリティ的なこと?)を表現する、伝える能力」を鍛えられなかった。

大学4年になって、基本所属単位が“個人”から“社会”になった。
「研究室配属」が起きたためである.

それまでの3年間は自分一人で過ごすことが多かった。
友達を増やそうと思えば、大学はいくらでも増やすことができる場だと個人的には思う。とてもシンプルに、何かしらのコミュニティに属すれば良いのだ。
しかし、自分的には相対的に考えた時に、“自分一人で”過ごすことのほうが楽しさが大きかった.

そんな自分一人で過ごす時の、一つの楽しみが「心の言語化」だ。
一人で過ごそうが、他人と過ごそうが、心は動く。感情が生まれる。
そんな感情を言葉にして著してみる。そこにどのような要因が考えられるのか。その時に生まれた感情と、別の時に生まれた感情との間に類似性があるんじゃないのか。
そんなふうに自分なりに考察をして言葉に表すのが楽しいし好きだった。

自分なりに上手く表現できた!となってほくほくとすることも多い。
そんな時は、何よりも気分が良い。それが、生産的かとか効率が良いかとかどうでもよくて、単純明快に“自分の機嫌が取れる”のだ。

しかし、そのようにして著した「自分の考え」は、ほとんどの場合自己完結に終わってしまう。自己完結とは、言い換えれば、他人との共有が難しいという事である。
自分一人でほくほくとするためにノートに自由気ままに書いているのであって、人に伝えることがメインの目的ではないから、”自分がわかればOK“色が強くなる。
そうすると、いざ他人とコミュニケーションをとっても、その言語化されたものは現れてこない。

冒頭に戻るが、今年から所属単位が「個人」→「社会」となった。
その結果、これまでも薄々感じてはいたことではあるが、それがより明確な形をとって眼の前に現れることになった。
つまり、「自分は自分が一人の時に考えていることを、他人に伝えられるようにしておく」ことができない、少なくとも苦手ということだ。

「他人に伝えられない」
ことが、致命的な欠点であるとは思わない。
しかし、自分一人の時にあれこれと考えるタイプの人間が、自分を表現できないとなると、生きづらいことこの上ない。

この練習をする。
大学院の2年間では、「人に伝える」ことを前提とした思考にトライしてみよう。
それは、「研究活動」や「就活」、さらには「就職後」にも活かせるはずである。

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