化学史紹介④ ヨーロッパでの復興と発展

前回はアラビア錬金術がどんなものだったか、どんな発見があったかなどをご紹介しました。色んな国と争っているうちにアラビア錬金術は段々と衰退していき、第一次十字軍がやってきたことで錬金術はヨーロッパへ戻っていきました。今回はこの続きです。

ヨーロッパでの復興

キリスト教徒がアラビア錬金術をヨーロッパに持ち帰りました。この知識を吸収するためにアラビア語で記されたギリシアの原典やアラビア錬金術の様々な書物がラテン語に翻訳されました。4元素説や3原質説、金属変成の理論は、当時は失われし古代の超技術とされ、その後の錬金術の発展に大きな影響を与えました。1200年ごろまではずっとこの知識を吸収することに注力し、1200年初めからは吸収した知識をもとに錬金術を発展させていくようになりました。

錬金術の発展

ロジャー・ベーコンという人物が実験と数学を錬金術へ応用することで、錬金術は大きく発展するだろうと考えていました。この考え方は300年ほど時代を先取りしていました。江戸時代から現代を予見しているようなものです。当時の技術レベルから見ると彼の思想はあまりにも現実離れしていたために中々受け入れられなかったようです。他には未完に終わりましたが、百科事典を編纂しました。その中に火薬に関する記述があり、これが最古の火薬に関する記述とされています。1200年以前にも火薬はあったとされていますが誰が最初に発見したかはまだ分かっていません。

1300年頃に偽ゲーベルと呼ばれる人物が著書の中で硫酸と硝酸について紹介していました。鉱石を加熱して出来たようです。現代では肥料や医薬品の合成に欠かせない重要な物質です。鉱酸や無機酸と呼ばれるこの酸は銅や銀などの一部の貴金属を溶かせます。古代ギリシアやアラビアでは不可能だったことが可能になりました。この発見は鉄鉱石から鉄を取り出してからおよそ3000年ぶりとなる大発見です。
このように徐々に様々な発見がなされてきた錬金術ですが、1317年に禁止されました。それっぽいことを言って言葉巧みに人を騙す詐欺師が我が世の春と言わんばかりに大暴れしたこと、ローマ教皇が安価な金が製造されて経済が崩壊するのを恐れたことが原因のようです。1000年ぶり2回目の禁止令です。エセ科学の業は深いですね。この禁止令により学問として真面目に研究している錬金術師は息を潜めるようになりました。しばらくは大きな発見はなく、時が過ぎていきます。

古代文明…?意外と自分たちと同じ人間かもね

少し時間を戻りまして、1200年代といえば羅針盤の発見により大航海時代が始まった時代です。その後、1500年頃にインド航路や新大陸の発見が次々とされました。過去のギリシア人が発見できなかったものを発見したため、過去のギリシア人よりも現在の自分たちが優れている部分が出来たと考えるようになりました。錬金術でも硫酸や硝酸の発見など、過去の偉大な文明が明らかにできなかったことを明らかに出来たり、発見できなかったものを発見したりと過去よりも優れていそうな部分がいくつも見つかりました。これまで古代ギリシアやアラビアなど過去の文明人に対しては全知全能の超人のように見ていましたが、自分たちと変わらない人間かもしれないと考えるようになりました。過去の発見をただ受け入れるのではなく、少し疑ってみようとする動きが出てきました。

昔の発見や知恵が大きく広まる発明が1500年よりも少し前、1400年代中頃になされます。グーテンベルグという人物が活版印刷術を発明しました。予め用意したアルファベットのハンコで文字列を作り、そこへインクを塗って紙などに押しつけることで文章を形成する技術です。これにより、本の作成にかかる労力が激減しました。これまでは人の手で文章を写していました。そのため書き手が必要なこと、写し間違いが起こりやすかったことが原因で本はたいへん高価なものでした。活版印刷術では書き手が不要で、誤植はあったかもしれませんが写し間違いを恐れる必要がなく、量産もしやすいため、本が非常に安価になりました。一般受けしない内容の本でも気軽に造れるようになったため、錬金術に関する著書も大量に作られました。
こうして様々な本が大量に出回るようになり、研究者は多くの人に自身の著書を見てもらえるような環境になってきました。4元素説の陰に隠れてしまった原子論もこのタイミングで存在が広く知られるようになりました。古代ギリシアやアラビアの発見をすべて正しいとせず、疑ってみようという動きがあったため、古代ギリシアの大きな遺産である4元素説が正しく、原子論が間違っているのか疑問を持つ人も出てきました。1800年代に原子論は4元素説を抑えて有力な説になります。

我々は!古代文明を超えた!

古代文明の発見に疑問を持つ機運が出ている1543年にコペルニクスの地動説を唱えた本とヴェサリウスの人体の解剖図の本が登場しました。古代ギリシアの天文学者が宇宙の中心は地球であるとしたのに対し、コペルニクスは太陽が宇宙の中心であるとしました。またヴェサリウスは解剖学者であり、自身の観察に基づいた正確な人体の解剖図を出版しました。どちらも古代ギリシアの天文学、生物学の誤った部分を明らかにしました。過去の過ちを指摘出来るほど当時の天文学、生物学は発展していました。つまり、明確に古代文明を超えたことが分かりました。その後大きく科学は発展していきます。これは科学革命とも呼ばれます。

錬金術って金持ちの道楽以外で人の役に立つものなんだなぁ…

最初の科学革命は鉱物学と医学で始まりました。バイエルという人物が1556年に書いた『金属について』という本がもとで医学と鉱物学は大きく発展していきます。彼は鉱石が医学に関連していると考え、鉱石に興味を持ちました。鉱夫たちの実用的な知識を図などを用いて見やすくし、『金属について』にまとめました。瞬く間にこの本は有名となり、その影響のためか1700年頃まで医者と鉱物学者を兼任するものが多かったようです。また、1700年以前は化学工学における重要著書とされていました。今でも鉱石の鑑定でその知識は用いられているようです。
医学、鉱学の発展に伴い、金属アンチモンを用いて薬を作るなど、科学によって人々は実生活に有用な知識や大きな利益がもたらされるようになりました。どんなに科学に疎い人でも科学は非常に大事な学問だと考えたようです。それに伴い錬金術は1600年代に衰退していきました。その後1700年代には錬金術は化学という名前に変わり、詐欺師が専ら扱うものを錬金術と呼ぶようになりました。
化学と名前は変わりましたが、4元素説をもとにした金やエリクサーの作製は根強く残っていたようで、多くの有名な化学者が金属の変成やエリクサー作りに私財を投じては破産をしていました。

次回予告

今回はここまでです。次回は錬金術が衰退を始める少し前、ガリレオの紹介から始めていきます。化学とは直接関係はありませんが、実験と数学を錬金術へ応用するというロジャー・ベーコンの考えを取り入れた最初の人物です。数学、物理でこの考えを取り入れた後に化学でも取り入れられるようになりました。つまり化学発展の足場をガリレオは作ってくれました。
長くなってきましたのでこのあたりで失礼します。

次回をお楽しみに!!!

最後までお読み頂きありがとうございます。 次回を楽しみにお待ちください!