化学史紹介③ アラビア錬金術の栄枯盛衰

 前回はアラビア錬金術が誕生するまでをご紹介しました。ヨーロッパでは神秘的で曖昧な表現のために化学者は他の人が何をしているのか全く分からず、結果として錬金術の発展はストップしてしまいました。この曖昧な表現はこの後1787年まで続いていきます。そうこうしているうちにペルシアへ錬金術が伝わり、そのペルシアはアラビア民族に占領されてしまいました。
今回はこの続きから始めて行きます。

アラビア錬金術の大まかな歴史


 ペルシアを占領したアラビア民族はそのままビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを包囲しました。670年のことです。ビザンツ帝国はアラビア軍をギリシアの火と呼ばれる兵器によって撃退しました。この兵器で着いた火は水で消せず、アラビア艦隊の木造船は燃えてしまいました。ギリシアの火は製法が秘密にされていて、ごく一部の人間のみが知っているだけでした。そしてそのまま製法を知る人間がいなくなったため、現在でもギリシアの火はなにで出来ていたのか分かっていません。
 撃退されたアラビア人はギリシアの科学に尊敬の念を抱き、この知識を取り入れるようになりました。エジプトの化学Khemeiaはアラビア語に直すとalkimiyaとなりました。Alはtheに当たります。これがヨーロッパへ戻ったときにalchemyになりました。Alchemyで働く人をAlchemistと呼び、ここからtheに相当するAlがとれて、chemist、chemistの働く分野をchemistryと呼ぶようになり、これが現代では化学を指すことになったようです。
 650年から1100年まではアラビアを舞台に錬金術が発展しました。初期のころは勢いが凄かったのですが、大きな成果があったわけではなかったので、次第に下火になっていきました。1040年頃からモンゴルやトルコとの争そいによって衰退が顕著になり、1100年頃にヨーロッパから十字軍がやってきたことがトドメとなってヨーロッパへ錬金術は帰っていきました。アラビア錬金術の辿った道筋は大まかにこういったものです。この歴史の中で有名なアラビア錬金術師がいますので、紹介します。

有名なアラビア錬金術師


 ジャービルという800年頃の錬金術師が非常に有名です。金属の変成で大きな成果を残しました。ジャービルはすべての金属は水銀と硫黄の混合物であるとしました。そのため、適切な割合を探し当てる、もしくは変成を促進する物質を発見することで金を作り出せるだろうとしました。適切な割合を探し当てる場合はトライアンドエラーを繰り返すだけなので、早々に手詰まりとなり、段々と変成を促進する物質を発見する方向へシフトしました。
ここで水銀と硫黄がどんな物質とされていたかを見ていきましょう。水銀は色々な物質と反応させても加熱すればもとに戻るため、不死の謎の手がかりがあるとされていました。昔の中国では不死の霊薬とされ、多くの皇帝が水銀中毒で亡くなったとされています。常温で液体であり、放っておけば気化するため、水と空気の元素を大量に持っているとも考えられていました。硫黄は金と同じ黄色の固体で、放っておくと勝手に燃えるので火と土の元素を大量に持っているとされました。水銀と硫黄で4元素すべてを手に入れたも同然なので、あとは水銀と硫黄を容易に混合できる物質を発見するだけで金が作れると考えられたようです。パラパラとしていて、乾いているもの、乾いた粉が水銀と硫黄を混ぜるのに適しているとされました。「乾いた」を意味するギリシア語でxerionと表され、アラビア語にaliksirと翻訳されました。 ヨーロッパではこれをelixir と呼びました。俗に賢者の石とも呼ばれます。そのうちこれ1つでなんでもできる万能の粉といった扱いになり、不老長寿の霊薬や不治の病の特攻薬などの万能薬とされました。金の作成の探求に飽きてきた一部の錬金術師は賢者の石の作成に取り組みましたが、特に何も成果は出ませんでした。ちなみに辰砂と呼ばれる硫化水銀の鉱石が賢者の石のあだ名をもっています。
 その後の1100年までの300年ほどは金を作り出す手法の開拓、賢者の石が発端となった万能薬の調合を二本柱として錬金術の研究がなされました。
そして4元素説をより具体的にした3原質という考え方が登場しました。アルラージーという人物が、水銀と硫黄の中間に位置する性質、揮発性と可燃性がない「塩」を加えて固体一般の構成元素とする3原質を提唱しました。アルラージーは焼き石膏の作り方とこれをギプスに使用する方法を考案するなど、医療の方でも大きな成果を残しています。
その後、アラビア錬金術はモンゴルやトルコとの争いによって衰退していき、十字軍がエルサレムを占領したことで終わりを迎えました。キリスト教徒がアラビア錬金術をヨーロッパへ持ち帰り、ヨーロッパで再び錬金術が発達していきます。

次回予告


 今回はここまでです。ギリシアの錬金術は1100年代初頭では失われし古代の超技術とされました。その後時間が幾分か経過して1200年頃になるまではギリシアの錬金術とアラビア錬金術をどんどん吸収していきました。そして少しずつヨーロッパで錬金術が発展していきます。このあたりを次回はやっていきます。

最後までお読み頂きありがとうございます。 次回を楽しみにお待ちください!