化学史紹介② 錬金術誕生までの道のり

前回は火を獲得して、冶金技術が発達し、化学理論が登場するまでを見ました。
今回は錬金術がどうやって誕生したかを紹介していきます。

錬金術誕生までの道のり


アリストテレスの時代にアレキサンダー大王がペルシア帝国を征服し、巨大な帝国を建て、中東の広い地域を支配域にしていましたが、この帝国はアレキサンダー大王が亡くなった紀元前323年に崩壊しました。
ギリシア人とマケドニア人の支配はその後数世紀に渡って続き、異文化交流が盛んに行われました。アレキサンダー大王の将軍の一人であったプトレマイオスがエジプトに王国を建てました。そしてプトレマイオスの息子はューズを祭る神殿を建立しました。この神殿は現在の大学や研究施設のようなもので、当時最大の図書館も併設されていました。
この神殿でギリシアの理論化学とエジプトの化学が出会い、錬金術が誕生しました。

エジプトの化学


ここからはエジプトの化学がどんなものだったかを紹介します。エジプトの化学は死体の防腐保蔵などの宗教儀式に利用されていました。身分の高い者が亡くなったらその体をミイラにしたり、ピラミッドを作ったりというものです。
当時のエジプトの化学と宗教儀式は当時イコールでつながっていました。エジプトの化学はKhemeiaと呼ばれていました。錬金術Alchemyの語源です。以降はエジプトの化学を錬金術と言います。錬金術に携わる人は、未来を見通せるとされる占星術師、物質を変化させる化学者、神をなだめられる僧侶など、秘術の達人とされていました。一般市民からすると、「何かスゴイことをしている。怒らせるとマズイ」と思われ、恐れられていたようです。より恐れられるようにすることで、錬金術に携わる人は自身の安全性を強めるようになり、神秘的であいまいな表現を好んで使うようになりました。これにより秘密の知識や技術という印象を持たせることに成功したからです。具体的に見ていきましょう。当時知られていた金属は金、銀、銅、鉄、鉛、水銀、スズの7つで、発見されていた惑星も太陽、月、金星、火星、土星、水星、土星の7つでした。金は太陽、銀は月、銅は金星、鉄は火星、鉛は土星、水銀は水星、スズは木星と金属の名前を惑星の名前に置き換えました。これにより神話に登場するような言い回しができるようになり、神秘感が増すと考えられたようです。

化学者に襲い掛かる悲劇


このようなエジプトの化学に触れたギリシア人はその知識に感銘を受け、その多くの考えを受け入れ、あいまいな表現をあえてするようになりました。英語の古い表現にこの名残を見ることができます。例えば硝酸銀の英語での古い言い方はlunar caustic で、日本語にすると苛性の月となります。 何も知らないで苛性の月と聞いて硝酸銀とは考えられません。このような曖昧な表現により、化学者は他の人がなにをしているのか全く分からなくなりました。
これにより大きな問題が2つ出てきました。
1つは、他の人の成功や失敗から何も学べないことです。成功した場合は詳細な手法が全く分からず、失敗した場合は何が原因か分からないため、同じ失敗を何度もすることになりました。つまり錬金術の学問の発展が曖昧な表現のために、著しく邪魔されることになりました。
もう1つは、それっぽい話し方ができれば、だれでも立派な研究者の振りができるようになってしまったことです。いわゆるエセ科学が爆誕してしまいました。現在までの2000年ほどエセ科学に私たちはふりまわされていることになります。2000年の歴史といわれると凄そうに聞こえますが、偽物は偽物なので気を付けたいですね。詐欺師は大喜びで研究者のふりをするようになり、ちゃんとした研究者とならず者の区別が全くできなくなりました。
このような状態のため、ほとんどなにも成果はありませんでした。
ただ、重要な発見が1つあり、ボロスという人物が紀元前200年頃にこの発見をしました。
著書の中でデモクリトスを名乗っていたため、偽デモクリトスやボロス-デモクリトスと呼ばれています。ボロスは銅-亜鉛合金を作ることに成功しました。この合金は金と同じ色をしています。見かけ上は金属を別の金属にしているため、ある物質を別の物質にするという4元素説における重要な課題を解決するための大きな手掛かりになるとされました。4元素説を簡単におさらいします。物質は水、火、空気、土の元素の混合物であり、混合している割合を変えることで別の物質を作れるだろうというものでした。実際に水は蒸発して空気になり、空気は雨になって水になることは観測されており、適切な技術がないだけで他の物質についても同じことができるだろうということが当時考えられていました。ボロスのこの発見は鉄を金に変えたように見えました。
化学者は真剣にこの問題に取り組んでいましたが、同じ時代に成果が出たふりをすることで大儲け出来ることに気が付いた詐欺師が大暴れしていました。そのため、徐々に化学者は詐欺師とひとくくりにされ、鼻つまみ者扱いされるようになり、ローマの時代には錬金術は衰退していきました。

ヨーロッパからアラビアへ


衰退を決定的にする出来事がローマ皇帝ディオクティアヌス帝の時代に起こりました。300年頃のことです。このころのローマ帝国は衰退を始めていて、経済がもろくなっていました。安価な金が製造されることで経済が崩壊することを恐れたディオクティアヌス帝は錬金術に関する図書を焼くように命じました。
その後、キリスト教の隆盛により、異教徒の学問が不人気になったことや、キリスト教徒の暴動によりミューズの神殿や図書館が損壊したなどの出来事がとどめとなり、ローマの世界から錬金術は離れていきました。
その後、400年頃にネストリウス派と呼ばれるキリスト教の一派が、コンスタンティノープル正教会の迫害から逃れるためにペルシアへ渡りました。この時、ギリシアの学問をペルシアにもたらし、その中には錬金術もありました。550年頃にネストリウス派の影響力は最盛期を迎えます。その後、アラビアで誕生したイスラム教が様々な地域を支配するようになり、ペルシアは占領されました。そして、この時にアラビアの方へ錬金術が伝わりました。
アラビア人はヨーロッパの錬金術を中国やインドなどの科学、錬金術と一緒に取り入れ、大きく発展しました。この時、アラビアの錬金術は中国からの影響を色濃く受けていたようで、水銀や硫黄をよく用いるようになりました。
こうしてアラビアを舞台に錬金術が発展していきます。アラビア錬金術と呼ばれます。

次回予告


アラビア錬金術になると、賢者の石やエリクサーという物質が登場します。アニメやゲームで一度は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。このあたりの紹介や解説を次回はやっていきます。

最後までお読み頂きありがとうございます。 次回を楽しみにお待ちください!