“待てない” “沈黙に耐えられない”
緊急事態宣言が一部解除され、
普段の生活を取り戻しつつある今日この頃。
本業と並行して心理学の勉強もちょっとずつ、ちょっとずつ。
今日はその中から、
ハッと思わされたことをまとめてみます。
それは、
『待つことが怖い、沈黙に耐えられない』
ということ。
その背景には、メディアや通信機器の変化があります。
なのでその変化から。
まずは、
変化してきたメディアの特性。
昔は、メールやブログや掲示板。今は、LINE、Twitter、インスタ。
どんな変化があったかというと、
昔は長文を書いたり読んだりする。
今は短文だったり一言。そして一瞬を切り取ったもの。
通話、電話ではどうか。
昔は家電(いえでん:家に一台の固定電話)
だから移動中は通話は無理だし、必要な時しか使用しない。
家の中には自分の部屋がある(これは今も同じだ)が、
固定電話であるがために、
自分の部屋は、電話にとらわれない空間となり時間がある。
今は携帯。これは個人所有のパーソナル端末。
24時間ずっと連絡が取れる。特に用がなくても連絡を取る。
だから自分の部屋があるけれど、
そこは電話が割り込める空間や時間となってしまう。
ということは、時間的精神的な個室となっていない。
さらに、
コミュニケーションの取り方の変化。
対面では、語りかければ相手はすぐに応じてくれる。
このようにコミュニケーションが成立する。
語りかけてもしばらく答えなければ腹が立ってくる。
オンラインでは、モバイルメディアではどうか。
相手がすぐに返せる状況にあるかはわからないのに、
「いつでもどこでもコミュニケーションが可能」
ということを、ヒトは期待してしまう。
なので、
電話に出ない、返信がない、既読がつかない…
といったことに対して余裕を持って待つことが難しい。
そしてネガティブな想像が働いてしまう。
最後に
家電とスマホについて。
テレビを買い、ビデオデッキを買い、音楽プレイヤーを買い…
といった一つ一つの用途に対応した“家電”を揃えることは昔の話。
スマホは一台あれば大抵のことはできる。
便利な機器ではあります。
がしかし、スマホを使っているところを見た時、
それを覗き込まない限り、何をしているかがわからない。
なんでもできるからね。
このことが“他人の不安”を駆り立てる。
例えば、新聞を読んで、テレビを見て、PCでメールを打ち、
デッキで音楽を聴き、本を読んでいても、
人を不快にはさせないですよね。あー、やってんな、ぐらい。
でもこれらを全てスマホでやると、
「スマホばっかり見て」となるよね。
このように、
メディアや電話環境の変化、コミュニケーションの変化
によって人間の心理が大きく変わってきていると思われます。
しかも良くない方に。
・文章力(読み書きの力とそれに対する耐性)の低下
・自分だけの空間がないことによる心理的安定感の低下
・返信がないことへの過度な不安感
・ヒトの行動に対する不安感
そして
これらが『信頼する力』を低下
させている。
既読や返信を待てない。ということが相手への不信、自分への不信に
なり、「沈黙=充実」とならず、「沈黙=関係切断」になっている。
これは何も同世代同士だけの話ではなく、
親子の話にもつながる。
親が子を信頼するためには、「不在の時間」が必要。
『任せる、待つ』
これが子への信頼につながり、自分への信頼にもつながる。
今は親自体もSNSネイティブ。
子に対する不安を耐え切れず、待ち切れずに、
その不安をすぐにSNSにアップする。
対象(子)は目の前にいるのに、繋がっているのは「他の誰か」。
…文章が拙くてすみません。
私も文章力が低下しているヒトの一人です。
しかし今回勉強したこの内容は、本当にハッとさせられました。
私自身もちょっと前まで、沈黙が耐えられませんでした。
そしてメールやLINEなどの返信がないことでヤキモキしていました。
その背景にあるのが、メディアや環境の変化にあった
(あくまで一因ですが。)ということを知るだけで、
自分の気持ちのあり方やこれからの対処法はもちろん、
この環境下にいる生徒たちへの接し方や話しかけ方へのヒントにも
なると思っています。
これから、この内容をもとに、
学校再開後、どのように生徒に接し、声をかけていこうかを
考えてみたいとおもいます。
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