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高専出身が高校数学をゼロから学びなおした話

どうも、お久しぶりであります。内定先も決まり、修論も落ち着き精神も安定しつつある今日このごろです。精神の不調の根底に生活に対する不安が少なからずあることを実感した1年でした。

さて、今回は高専出身で高校数学のカリキュラムをまともに知らない私が高校数学を最初からやり直したことについて話していきたいと思います。

なぜ高校数学を今更やり直すのか

私は修士2年生であり、高校数学などとっくの昔に終えている年齢であります。実際、私の専門分野に用いる数学は高校までの数学に比べて遥かに高度です。線形代数、微分積分、フーリエ解析、ベクトル解析、微分方程式と理系大学生ならば誰しもがご存知な数学が私が研究で参照する文献に用いられています。しかし、文献を読んでいると数学の形式的な意味合い(式変形など)はわかってもそれが何を意味しているのかを全く理解できていなかったことに気づいてしまいました。そのことに絶望した私は、ちゃんと文献にかかれてある数学的意味合いを理解するために高校数学から学び直すことを決意致しました。

高専出身なのでこれらの理論を扱うのに十分な数学的素養はありますし、実際高専時代の数学の成績は学年220人中上位1桁台に入る程度にはありました。

しかし、これが罠だったと後で知ることになりました。高専の化学科の数学というのは図形、整数、場合の数などの受験数学で一般的な分野をあまり学ばないし、ベクトルや数列も基礎中の基礎だけ触れて先に進んでいきます。しかし、連続関数を用いた数学(解析学)に関しては徹底的にやるというアンバランスっぷりです。ベクトル、数列をあまり深く学ばないのに線形代数をいきなりやらされるものですから、殆どの高専生にとっては行列を扱った計算手順を身につけるゲームで終わってしまうのではないでしょうか?

高専で学ぶ数学というのは、高専の理念からもわかるように実学において扱うための数学でしかないのです。そのため実用に用いる数学の計算手順を最速で身につけるようにカリキュラムが構築されているわけであります。

一方で、高専では数学に対する理解があまり重視されていない傾向にあるように思えます。いや、それは数学に限らず高専で学ぶ内容全般に対してですね。一般の高校生は受験があるため生半可な理解では引っ掛け問題や論述問題で落とされてしまうでしょうし、徹底的に高校までの数学を理解しようとすることでしょう。

しかし、高専では、基礎的な計算手順さえ習得すれば点数が取れる上に編入学試験でもあまり込み入った問題は出題されない傾向にあります。したがって数学の本質を理解してなくても計算手順さえ理解していれば問題がないわけです。

これが本当に罠でした。計算手順さえ理解していれば問題がない以上、学んだ数学を概念で理解するインセンティブは生じ得ないわけです。つまりくもん式で学ぶ数学の延長線上でしかないわけです。これは恐ろしいことです、実際私は数式はグラフや図形と照らし合わせて初めて本質がわかるものだと23歳になるまで一切気づきませんでした。

数学をちゃんと納得することの大切さに気づいた切っ掛け

ここでは、数学を理解するのではなく、納得することの大切さとそれに気づいた切っ掛けについて語ります。

私は万物を本当の意味合いで理解することはありえないと考えております、なぜならこの世界において本当の客観は存在し得ないからです。人間は五感で知覚した情報を脳内で加工して解釈するわけで、コンピューターもハードウェアやソフトウェアの仕様にしたがって与えられたデータをプログラムに沿って解釈し、人間が認識できる形式で出力するに過ぎないからです。

人間にとって本当に大切なのは納得感なのです。ここでいう納得感とは自分の中で腑に落ちる解釈を発見し、習得した知識を手足のように使いこなせる状態に至る感覚のことを指し示すこととします。

国家公務員総合職試験を受ける際に数的処理や判断推理の過去問に触れてあることに気づきました、それは図の作り方が一切わからないことと図形的なイメージが脳内で再生できないことです。問題演習を繰り返してもなかなか伸びず国家総合職の採用試験では散々な目にあった私はその時初めて自分の愚かさを自覚するに至りました。

視覚的にイメージできない知識は無に等しい。これが私にとっての持論です。つまり私は数学というものを理解した気になっていただけで実際のところなにも納得できていなかったのです。そのため私は物事の本質を全く理解せぬまま大学院まで進学してしまい研究する上では手遅れな状態になってしまったのです。これは危ういと気づいた私は藁にもすがる思いで高校数学の解説動画を漁りはじめました。

高校数学の理解の助けになったサービス

高校数学を理解する上で私が重用したサービスは主にスタディサプリとAKITOの勉強チャンネルです。

スタディサプリは中学までの数学に対する理解を深めるのに役立ちました。根気よく中学数学(応用)の講座を最初から最後まで見たことで初等幾何を克服できた様に思えます。

高校数学を理解する上では、AKITOの勉強チャンネルが助けになりました。彼の受験数学シリーズは受験数学特化の動画シリーズでありながらなぜこのような式が導かれるか、なぜこの手法を用いるのかを言葉と図形と数式をフル活用して丁寧に解説します。これが私にとって最高に重宝しました。

高校数学のカリキュラムをあまり知らなかった私はAKITOの受験数学シリーズを見てはじめて高校数学の全体像を知ることになりました。高校数学は高専数学と違い高度なことはあまりやらず、その分定理を咀嚼することの重要性を訴えている様に感じました。彼の動画をみて自分の中でバラバラだった数学の知識が数珠つなぎの様にまとまっていくのを感じました。

なんとなく高度な数学を知っていることよりも基礎的な数学を概念から脳内に染み込ませて器用に使いこなせるほうが尊い、このことを最近になって心の奥底で感じております。

これからの展望

大学以降の数学に再入門するために私は高校数学を一通り俯瞰し、その後に一度大学数学の線形代数や微分積分に挑んでいこうと考えています。その前に群論を一通り学ぶことで論理記号や集合論に対する抵抗も払拭していきたいと思います。

数学を自分の中で咀嚼するのは気が遠くなるほど大変なことであります。しかし、この一連の修業を終えることで新たな世界が開けることの確信していますし、だから自分にとってはあまり苦ではありません。

今の世の中、数学はありとあらゆる分野で使われていますし、直接数式を用いていなくても数学的な概念が暗に用いられていることもあります。故に数学を咀嚼することで世界に対する解像度が向上するのは明白なのです。

価値観のアップデートだとか新たな技術に追いつけだとか言われている今日このごろですが、だからといって闇雲に情報収集するだけじゃ歳を重ねるにつれて苦しくなるのは明らかです。人間の情報認知能力は年齢とともに衰えます。若い頃はそれでいいのかもしれませんが年老いたらどんなに頑張ろうが追いつけなくなる日が来るはずです。人はこうして老害化してしまうのです。

しかし、世の中のありとあらゆる事象の根底にあるのは古くからあるシンプルな概念だったりするのです。数学はその概念の根幹でもあります(他には言語や歴史などがある)。したがって、根幹となる概念を抑えておけば歳を重ねて流動性知能が衰えてしまったとしても少ない負荷で新たな情報を咀嚼することが可能になるわけです。価値観のアップデートにおいて大切なのはむしろ目先のトレンドを追うことではなく根幹にあるものを掴むことなのです。

価値観のアップデートは大切だと声高に叫んで目先のトレンドばかり追っかけている人は認知機能の衰えに追いつけなくなってしまうことでしょう。価値観のアップデートを求めるあまりアップデートができなくなってしまうとは悲しいものですね。

結局の所過去から学べないものは未来を見通せないというお話でした(脱線しすぎかな)。

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