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理論を深堀するよりも応用する方が楽しいって話

理学と工学の違いは理論そのものを探求するか利活用するかにある、大まかにはその程度の理解で差支えないだろう(厳密には工学側の人が理論を発見したり理学側の人が応用研究することもままあるが)。

しかし、自分がどっちが好きなのかを知るのは案外難しいと考える。というのも理論が気になって仕方がないからといって必ずしも理論研究に向いているとは限らないどころかむしろ向いてないことの方が圧倒的に多いのだから。

なぜそう言い切ってしまうのかというと、理論研究というのはごく一部のマニアや天才がやるものであって適性のある人はあまりにも限られるからだ。別に学業成績が際立って優秀である必要はないが、何かに対して疑問を持ち、解明したくて仕方がない、これに一生を費やさなければならない、そういった使命感が湧かなければ理論研究は出来ないだろう。ちなみに私にはそのような考えは一切なかった。

ところで、あまりに非現実的で実用性がないと言われている数学や自然科学の理論を現実世界に応用してみるっていうのは面白そうだと思わないだろうか。私は理論研究するよりもその方が面白いと感じてしまう。一般的な工学系の人たちは役立つ理論のみを選び取って応用する訳だが私はどちらかというと新規開拓的なこと、すなわち既存の理論の新たな利活用法を見出すのに興味がある。

この理学的な理論を工学的に応用する方向性を見出すというのも、広義の工学的視点に分類されうるのではないだろうか、工学系は実学的、理学系は非現実的という対立軸だと見逃されてしまいがちな視点である。

私は別軸として工学系は演繹的、理学的は帰納的であると考える。どういうことかというと、工学系の方が既存の理論や発明から新たな何かを生み出す方向にあり、理学系の方が散りばめられた個々の事象から新たな理論を生み出す必要があり、これは演繹と帰納の違いにあるということである。

これは一見以外に思われるかもしれない、工学の方が経験則重視で帰納的、理学の方が座学メインで演繹的というイメージが我々の中に無意識のうちに植え付けられてしまっているからである。しかし考えてほしい、ドラえもんの道具はまさしく演繹的なアイデアによって生み出されたものではなかろうか?

飛行機などの高速移動手段+ワープ+ドア→どこでもドア

これってまさしく演繹的な発想だと思う、そう、実際には工学の方が演繹的であり、理学の方が帰納的なのである。

私はゼロから何かを発見するよりかは既存のものを組み合わせてなにかに使えそうだと考える方が得意なんだと思う、数学でも定理を聞いた瞬間にその定理の応用法について閃くことが多々ある。一方で定理の証明や新たな定理の発見には全然興味が湧かない。正直そんなの自分がやらなくても数学一筋な優秀な人たちがやってくれるだろうし自分がやる意味が分からないしそれ以前に数学の証明が苦手というのもある。

役に立たないと言われている理論をいち早く実践に活かして役立つことを証明する、この方が面白いし何よりも説得力がある。

だからこそ私は先の見えない理学の研究に身をささげられる人たちのことを凄いと思うし心から尊敬している。実験してデータ取って、実験してデータ取って論文にまとめて発表、正直苦痛でしかない。先が見えないととても不安になってしまうし個々の要素から全体像をイメージするのが苦手なのを自覚しているからだ。

しかし、好きなこととやりたいことは違うって至言だなあと思うね。

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