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【藤井風】風民か、カゼタリアンか。ファンの在り方について思うこと。

突然「カゼタリアン」ってワードが登場した。

「え?何それ?」って思ってたら、どうやら藤井風の海外ファンが自分たちのことを「カゼタリアン」って言ってるらしい。


つまり「風民 (かぜたみ)」の海外版が「カゼタリアン」ってこと。

個人的には、デビュー当時から「風民」って呼んでるし、こっちの方がシンプルで呼びやすいな😂言い慣れてるし、馴染み深いしね。

でも、藤井風がこの「カゼタリアン」に触れたことによって、風界隈がちょっとザワついてるらしい。

藤井風のファンネームは「カゼタリアン」に統一すべきかとか、「風民はもう使わない方がいいのか」とか。

なるほどね。気持ちはわかる。でもさ、

ぶっちゃけ、どっちでもよくない?w

変なルールとかに縛られたくないし、ファンネームなんて自由でいいと思う。みんなそれぞれ好きに呼べばいいんじゃない?

藤井風もいつだって「Be free (自由に)」って言ってるように、ファンも自由に楽しめばいいよ。

i love you kazetarians for real (カゼタリアン、まじで大好き)」って言ってるけど、これだって海外ファンだけに向けて言ってるわけじゃないよ。藤井風は英語だとストレートに愛情表現するし、よく「i love you」って言いがちじゃん。

まあ、今まで「風民、大好き」って藤井風は言ったことないけどさ、それでもファンに対する愛情の違いなんてない。

藤井風はいつだって、平等に愛を与える人だから。


だから、同時に勘違いしちゃダメだなっていつも思ってる。


髭男の「Subtitle」って曲に

「凍りついた心には太陽を」そして「僕が君にとってそのポジションを」
そんなだいぶ傲慢な思い込みを拗らせていたんだよ
ごめんね

って歌詞があるんだけど、この言葉が沁みる。(この曲、めっちゃいいから聴いて)

変な思い込みとかエゴで、自分も藤井風も縛り付けないようにしなきゃね。推し活は好きになりすぎると、苦しいだけだから。(経験者)


なんか急に冷静になっちゃったんだけど、藤井風アプリの「ずっずdiary」を読んで、改めてファンとしての在り方を考えさせられたんだよね。


ずっずさんが藤井風スタジアムライブをやる上でこだわったことを語ってた。

初めて藤井 風が有観客で開催する野外ライブで拘ったのは、『風を近くに感じられること』。初めて風のライブに来てくれた方にも「近い〜」と思ってもらえる、何度か風のライブに来てくれているファンの方にも「遠くにいっちゃったよね」と思わせない、存在としてはもちろん、視覚的にそう思ってもらえるような、会場を探すことにしました。

藤井風アプリより

ずっずさんの、この心遣いは本当に嬉しい。


だけどファンとしては、藤井風の活躍をどんな時でも応援できる気持ちでいたいと思ってる。


アジアツアーとか、これからどんどん色んなことに挑戦して「藤井風が遠くへ行っちゃった」と感じるタイミングは何度もあると思う。

だけど、「遠くへ行かないで」なんて言うのはファンのエゴだし、本来は大好きな人の活躍を心から喜んで、祝福すべきなんだよね。

さみしいけど、仕方ない。


だって、藤井風だもの。
狭い世界で収まるような人じゃないのよ。

みんな「さみしい」って気持ちはありつつ、藤井風の活躍を、幸せを、心から願ってるでしょ。

藤井風はいつだってファン想いだし、この先どんな場所にいても、何をしていても「心の距離は変わらない」「わしはちょっとパワーアップしただけ」ってきっと言ってくれる。

だからファンも自由に、軽やかに、藤井風を応援していけたらいいなって思う。