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29歳の時に突然難病になった話をする〜退院編〜

こんちには。

この続きを書いていきます。だいぶ良くなってくる時期です。

ATG治療後の免疫がない期間をなんとか乗り切る

ATGという治療を行なって治療自体は乗り切りましたが、依然として白血球がほとんど0の状況が続きました。

熱が出る→カロナール(解熱剤)飲む→熱が出るのループが続いていて、このまま白血球が0だと重度の感染症の危険性も高まるし、別の治療法も検討しないといけないので綱渡りの日々が続いていました。

ただATG治療を終了してから1週間後、入院してからほぼ1ヶ月経ったころやっと白血球がほんの少しだけ戻りました。
この時のことは今でも覚えていますし、担当医も喜んでいたのも今でも覚えています。

一般病棟に移動する

そのまま順調に白血球は回復して、一定レベルに戻すことができついに一般病棟に移動できることになりました。

看護師さんに「車椅子で移動する?」と聞かれて、余裕だろと思って断ったんですが、ほぼ1ヶ月間同じ部屋で過ごし、全く動いていなかったので少しの距離も歩くことができませんでした。全くの別人になっていました。

また、ほとんど人ににも会わなかったので、外に出た瞬間にいろんな人に会うとフラフラするしまるで別世界のようでした。

久しぶりのコンビニ、久しぶりのシャワー

無菌室から一般病棟に移るとできることが増えます。

まず自由に売店に行けます。僕は大きな食事制限はなかったので、久しぶりの売店で爆買いしたり、ジャンプを立ち読みしたりしました。
今では当たり前のことですが、当時は新鮮で売店が楽しくて仕方なかったのを覚えています。

久しぶりにシャワーも浴びることができました。
以前書いたように、無菌室ではタオルで体拭くことと、足湯と看護師さん洗髪にしてもらうだけなのですが、一般病棟なら自分でできます。
久しぶりにシャワーを浴びたのが相当気持ちが良く、この日のことは今でも覚えています。

いびきに悩ませられる日々

一般病棟に移ると4人部屋で共同生活になります。
ここで悩まされるのが「いびき」です。

元々繊細な性格も影響してか全く寝られず、薬で寝たりみんなが寝ている昼に寝たり病院にいながら昼夜逆転する始末。

イヤホンつけて音楽聴いたりしてましたが、当時はノイズキャンセルという技術もなく困っていました。
その後、耳栓をしながら寝るようになりなんとか環境にも慣れて寝られるようになりました。

食事が元に戻る

一般病棟に移ると食事も変わります。
元々すべて火が通ったものしか出ず、柔らかい魚やお粥などが続き参ってました。

一般病棟になると、まず生野菜が食べられるように。これは本当に大きかった。野菜はほぼ煮物だったので、久しぶりのシャキシャキ感に感動したのを覚えてます、
献立のレパートリーも増えて、コンビニに行けるのも相まって食事面の悩みはほとんどなくなりました。

だいぶ普段の食事に近づきます

行動量が増えると赤血球が低いのが響く

無菌室と比較して活動が増えると困ることが赤血球が低いことです。
赤血球は体中に酸素を運んでくれる血球で、数が少ないと貧血になり息切れや倦怠感が出ます。

この頃は赤血球が基準の半分しかないので、実質半分の酸素で過ごしているようなものでした。
階段を上るだけで息が上がるし、体力の低下も相まって少し歩くだけでも息切れしていました。元の生活に少しずつ戻ると、体が弱ってるというののもより実感するなと感じました。

退院

一般病棟で2週間ぐらい過ごしたのち、ようやく退院。
トータル1ヶ月半程度の入院生活でした。
入院当初は最低3ヶ月多くて半年、と聞いていて絶望してましたが、予想を大きく上回る脅威的な回復です。

退院した日の空

これなら仕事復帰!元通り!とはならず、週一の通院をしながら自宅療養となります。
実家に帰ればとも思ったのですが、実家が病院から遠く一人暮らししながら自宅療養を始めることに。

今思えば異常です。正直入院の方が楽だったと思うことも多々ありました。もう一度やれと言われてもできません。
自宅療養のエピソードもいくつかありますが、それはまたの機会に。

それでは。

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