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ありがとう反さん 山雅をプロ集団に育ててくれた功労者

 ついにこの日が来てしまった。ここ数日の発言から覚悟はしていたが、いざ事実として突き付けられるとやっぱり辛いものがある。松本山雅FC 反町康治監督の辞任である。サポーターから反さんの愛称で親しまれる反町監督の進退については、最終節の翌日8日にクラブと話し合う場を設けていた。そこで反町監督の辞任が正式に決定し、クラブからも発表された。最終節の試合後、選手とともにスタジアムを1周した際には、スタンドのサポーターから「反さんありがとう!」「反さんゆっくり休んで来年もまた!」という声が響いていた。これを受けて直後の会見で反町監督は「罵声を浴びてもおかしくないところを感謝の気持ちと「頑張ってくれ」というのを聞いて逆に辛いというか、「辞めろ」って言われた方が辞めやすいかなとは思いますよね。」と苦笑いを浮かべながらコメントした。既にこの時には心を決めていたのだろうが、かなり悩んで今回の決断をしたに違いない。

松本山雅のホームページを通して、反町監督は「8年間にわたり、たくさんのご指導ご鞭撻、サポートありがとうございました。この経験は何事にも変えがたいものです。クラブの益々の発展を願ってやみません。ありがとうございました。」とコメントしている。山雅サポからすると「ありがとうございました」はこっちの台詞である。退任発表後、SNSには山雅サポ反町監督への感謝の言葉が溢れ、中にはスタジアムに反町監督の銅像を作るべきだという意見もあった。さらに午後には、松本駅で号外が配られた。ここまで注目を集める監督も珍しい。それだけ反町監督が愛されていた証拠とも言える。筆者も松本山雅FCをプロの集団へと育ててくれた反町監督の功績を振り返っていく中で感謝の気持ちを伝えることにしたい。

戸惑った就任当初

 2012年、松本山雅がJ2初参入となるこの年に反町監督が就任した。チームがJ2に昇格し、さらにJ1チームや北京五輪代表も率いた反町監督が就任するとあって、サポーターは大きな期待をしていた。反町監督も「松本山雅はいろんな色に染まっていないから面白いかも」と当時はワクワクしていたことを後に語っている。しかし、ここから反町監督は予想だにしなかった壁にぶつかることになる。それはチーム始動日に早速起こった。練習に来る選手の中には、睡眠不足で寝癖がついたままだったり、目が真っ赤な状態の者がおり、さらに当たり前のように遅刻してくる選手もいたという。また、選手が着ているジャージもサプライヤー契約をしているアディダス社のものではなく、それぞれが持っているものをバラバラに身につけてきたという。前年にアマチュアのJFLで戦っていた松本山雅は、それまで日本サッカーのトップレベルで指揮をとってきた反町監督にとっての当たり前が通じない状態であったのだ。

プロとは何か?山雅戦士に植え付けたJリーガーとしてのあり方

 プロになりきれていないクラブを見て、小さい部分から1つ1つ改善を促していこうという決意を固めた反町監督は行動を起こしていく。

 まずは、練習に遅刻しない、環境に対して不平不満を言わないなど真摯な姿勢でサッカーと向き合うことを選手に強く要求した。煙草の弊害についての指導も真っ黒になった肺の写真を用いて選手に行った。毎日の体重管理や定期的な体脂肪測定を実施し、選手にサッカー選手としての自己管理を大切にすることも呼びかけた。今でも栄養の摂り方などについて選手に口酸っぱく伝えているという。また、当時スポンサー挨拶の際に「山雅の選手は警告と退場が多すぎる。これでは子ども達に見せられない。」と言われたことを受けて、フェアプレイ重要性についても最初のミーティングから話したという。その後、松本山雅はリーグで何度もフェアプレイ賞を受賞し、今シーズンもレッドカードは0という成果も出ている。このようにサッカー以前に反町監督は、さまざまなアプローチを行い、山雅戦士達にプロ意識とは何かを説明し続けたのである。

 フィジカル面においても、プロとして必要な走力を求めた。プロになりきっていなかった選手たちにとっては、かなり過酷なトレーニングだったようで練習場の隅には洗面器が置かれ、利用する選手も多かったという。

 また、スタッフが足りなかった当時は、1番に練習場に出て雪かきを行い、ライン引きもした。チームがスムーズに活動できるように仕向けるためにはどんな努力でも惜しまないというプロの姿勢を自ら示したのである。

 松本山雅が2度もJ1に挑戦できるようなプロチームになることができた土台には、このような反町監督の取り組みがあったということは間違いないだろう。

みんなから愛され応援される山雅に

 反町監督が会見で繰り返し言っていたことがある。それはサポーターについてである。「いつも声を枯らして応援していただき感謝している。松本の皆さんはブーイングをしてもおかしくない状況でも常に拍手を送り、チームを励ましてくれる。逆に我々はこの状況に甘んじてはいけない。いいパフォーマンスを魅せて勝利を届けることが1番のファンサービスであり、そのために我々はピッチで全力を尽くして戦わなければならない。」このような趣旨の話を何度も聞いて、その度にサポーターとして嬉しい思いをした。反町監督は、選手たちにも同じように呼びかけていたという。前述した内容と合わせ、このようにプロとしてのあり方を説き続けたことで、選手たちがもっている力の120パーセントを出してファイトする山雅スタイルが生まれたのかもしれない。山雅サポーターは、選手たちが全力で戦うこの姿勢に惹かれているからこそ、あそこまで熱心に声援を送って、共に戦うのである。みんなから愛され応援される山雅をつくってくれたのも反町監督なのではないのだろうか。

反町監督のもとでしかJリーグを戦ったことのないクラブは、今回の辞任を受けて変革期を迎えることになる。サッカーに真摯に取り組む姿勢を大切にこれからもクラブとして成長し続けることが、松本山雅というチームをプロへと導いてくれた反町監督への恩返しになるはずだ。今まで本当にありがとう反さん。


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