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現代アートを見ている感覚 ~映画「関心領域」(2023年制作)

5月下旬、上の息子(ウエムス)と、映画「関心領域」を観てきました。

この映画、タイトルどおり、関心を集めているのでしょうか。国際的な映画祭でいろいろと受賞しているので、メディアの映画評論でもたくさん取り上げられています。SNSでも言及されているのを見ることがあるし、私の周りの学生たちも気になっているようです。

ポスターも目を引くデザインですよね。青々とした芝生の庭以外は暗黒


京都シネマに至る階段にかかる宣伝の幕(なんて呼ぶんだ?)

アウシュヴィッツ強制収容所のルドルフ・ヘス所長一家の健やかで、丁寧に作り上げてきた暮らしを淡々と追い、塀の向こうで行われている残虐な行為はうっすらとした音や煙くらいで窺い知れるだけ、所長は妻と異動の板挟みに困惑しながら単身赴任し、さらなる出世を前にストレスで胃を痛める、という映画です。

いろいろな方が書かれている感想をまとめると、「膨大な数の人たちが苦しめられて殺されていった、そのすぐそばで、理想のマイホームを整えていくことに没頭する、その無関心が怖い… でも私たちだって、ほんのちょっと目をやれば非道なことが起こっているのに、その音はBGM以下にしか聞こうとせず、視線を向けることもせず、安穏と暮らしているではないか」となるでしょうか。

直接的な暴力を映し出すことなく、無関心(というより意識的な無視ですが)の冷酷さ、人間的な暮らしが非人間性の極致である場所で営まれているグロテスクさを突きつける、それも淡々と、というのがこの映画の新しいところです。


京都シネマの三連ポスター


ただ、絶賛されているほど怖いかなあ、秀作なのかなあ、というのが素直な感想。

制作者の意図が読めてしまって「怖い」とは思えなかったし、やりつくされた題材をやられていない手法で表現するにはこれでしょ、みたいな作りこみように、いまひとつ入り込めなかったです。

なにより、まったり、のんびりしていて、眠い。ときどき赤外線で撮ったみたいなシーンがあったり、不穏さを募らせる音が鳴ったりするのだけど、それでも眠い。ちゅうか、映画が始まる前から、この日は眠かったんだった。すみません、そのせいですね、きっと。( ´∀` )

もっとお詳しい方が書かれていた鑑賞記録を読むと、おお、あの映画から、そういう話に繋げるか、さすが専門家は違う~~と感心しましたが。


この映画によって「怖い」と感じなかったのは、眠さのせいばかりではありません。既知の怖さだったからです。

アウシュヴィッツを見学したときに、残された大量のものなどももちろん衝撃だったのですが(義足やコルセットが一番ショックだった)、それと同じくらいに「えっ」と思ったのが、ルドルフ・ヘス所長の家とガス室の近さでした。

首を右に向ければヘス所長の家、左に向ければガス室、正面を見ればヘスが絞首刑になった場所、というところに立って、こんなに近くに、よく家族で住めたな、この距離で、何が起こっているか、わからないはずがないだろうにと思ったのです。

映画の方が、むしろちょっと距離があるような感じに思えました。



鑑賞後、離れた席で観ていたウエムスが、「媒体が違うような感じがした」というので、どういうこと?と聞くと、「現代アートの映像作品を観ているみたい」とのこと。ふむ、たしかに。それならなんか納得できるかも。

それでいうと、ポスターを見たときから、ある展覧会を思い出して仕方なかったのです。

2019年に京都国際写真祭で見た、ポーランドのアーティスト、ヴェロニカ・ゲンシツカの展覧会です。


これとか、映画のビジュアルイメージに、そっくりでしょう!



このインスタレーション、すごく面白くて。

一見普通の幸せな家族のリビングに見える部屋に飾ってある写真がなんともシュールだったり、こんな不気味で怖い遊具のあるお庭風な場所がつくってあったり。

今回の映画のビジュアルイメージ、このインスタレーションと似ているでしょ!

私の中では、「関心領域」は現代アートのインスタレーションないしは映像作品、ということで、腑に落ちました。

でもまあ、やっぱり眠いときに映画館に行くもんじゃないですね。

というわけで、5月は、せっせと映画館に通いましたが、仕事以外に出歩くと、だんだん疲れが蓄積してくると痛感したので、前々から約束していたお出かけを最後に、6月はおとなしくすることにしたのでした。


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