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カレル・チャペックの戯曲『ロボット』のお芝居を観てきました&バレエ・リュスの衣裳展

もうだいぶ経ってしまいましたが、2月下旬に、兵庫県立芸術文化センターで、お芝居「ロボットーRUR-」を観てきました。

チェコスロヴァキアの作家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲で、「ロボット」という言葉はこの作品で生まれました。

チェコ文化を代表する人といえば5本の指に入るであろうチャペックの代表作で、文字(岩波文庫、千野栄一訳)で読んでもいましたが、これまでお芝居で観る機会はありませんでした。ピッコロ劇団さん、関西で上演してくださってありがとう!!( ;∀;)

以下、自分のための備忘録です。がっつりの分析や考察ではないです。あらすじや丁寧な説明も省いています。ネタバレご注意ください。(チャペックの他の戯曲『マクロブロス事件』『白い病』との比較もあるので、そちらを未読の方もご注意を)

ピッコロ劇団@兵庫県立芸術文化センター


まず、内容的なこと。

カレル・チャペックの1922年の戯曲で、最近新訳も出た『マクロブロス事件』(新訳の邦題は『マクロブロスの処方箋』)との類似性と相違について。

どちらも、「すごーく」(※後述)端折ってしまうと、ある「すごーく」重要な書類をめぐる欲や理想や主張のぶつかり合い→若い女性が書類を破棄してしまう、という筋書き。

(そういえば、チャペックの『白い病』でも、人類の将来がかかる重要なものがアレしちゃいますね。若い女性が破棄するわけではないけど。チャペック、そういうのが好きなんですね)

でも、女性の主体性というか、自立性みたいなのは、2作品では違ってきているようにも思います。

『ロボット』では、大統領の娘でロボットの人権(?)活動家でもある美貌の女性が一目惚れされて、夫と科学者らのマドンナとしてちやほやされて、自分たちの最後の切り札を破棄しても許されてしまう。彼女は、行動する女性ではあったけど、偉いさんの娘→冷静に判断できない奥様というキャラどまりとも言える?

『マクロブロス』でも、若い女性が人類の未来を左右するような役割を果たす点では同じだけど、破棄の仕方や意味合いが違っている。『ロボット』では「パニクって焼いちゃったどうしよう許して~」みたいなアクシデント的なものだったのが、『マクロブロス』では、若い女性が不老不死の処方箋をあっさり焼いてしまって、不老不死をめぐる苦悩や欲望の衝突に決着をつける。

『マクロブロス』では、不老不死の魅惑のオペラ歌手の女性と、彼女に憧れる若い女性が対比されるが、どちらもそれぞれ自分の職業とか特技を持っていて、自立した人間という面が強まっている?

以前、関西チェコ/スロバキア協会の催しで、新訳の翻訳者である阿部賢一先生の講演会があって、質疑応答のときに、チャペックは女性を書くのがうまくないというような話も出ました。(このときの報告を協会誌『ブルタバ』128号 2022年3月発行に書いています)

その話になったのは、私の授業を受けていた学生さんの質問からの流れだったと記憶しているのですが、たしかに、女性の機微はあまり描けていないなと思います。が、もしかしたら、この2作品だけ比較すれば、少しは女性像を複雑化させたのかな?と今回ちょっと思いました。

あ、でも、1937年の『白い病』でもやっぱり大統領の娘が出てくるけど、あんまりたいしたキャラ付けはされてなかったかな…? あれはまた設定が違うから仕方ないか?

で、『ロボット』では、危機的状況に対して、登場人物たちがあれこれ主張をぶつけあうのですが、戯曲を文字で読んでいるときより、お芝居で観た時の方が、ふむ、なるほど、それもそうだな、でもしかし、というように思わせるなと思いました。文字だとさーっと読み飛ばしてしまうんですよね。でも、お芝居だと、当然、演じる人が違うからキャラももっと明確になるし、セリフが終わるのを聞いて待たないといけないし。戯曲は芝居で観るのが正しいなと確認しました。

その主張のぶつけあいに関しても、先述の阿部賢一先生の講演でも、チャペックの作品は、唯一絶対の正義や結論を強いるものではなく、多声的であり、観客(読者)に思考を促すものである旨のお話があったのですが、たしかにそうだなと再確認できました。

お芝居の演出に関しては、1920年代の作品であるということはまったく感じさせない、近未来的な、シンプルな(あまりお金もかけずに済んでそうな)舞台になっていました。離れた島で人造人間を製造する会社という設定だし、普遍性のある作品だし、セリフが大事なお芝居なので、なるほどと思いました。建国期のチェコスロヴァキア好きとしては、当時の雰囲気を色濃く反映させた再現的な舞台も観てみたいですが。

上述の「すごーく」は、マドンナである女性の登場人物が頻繁に口にするセリフで、これが終盤にも意味を持ってくるのですが、でも、、、ちょっと異質だったかな。。。他のセリフが上流階級のお嬢様(奥様)風な話し方なのに合ってないし、20年くらい前の日本のはすっぱな女性みたいだったかな~

全体の感想としては、緊迫感もあったし、知っている話だけど退屈することなく鑑賞できて、遠くまで行った甲斐がありました。セリフをきちんと聞いていくことで、ここまで書いてきたようなことが浮かんできましたし、やっぱり戯曲は芝居で味わうもんやと再認識できたし、得るものが多かったです。

一緒に行った上の息子は、あらすじすら知らずに観たので、それこそ「すごーく」面白がっていました。良かった良かった。

会場のそばでは、ミニ展示もやっていました。20世紀初頭、ロシアのセルゲイ・ディアギレフが創設したバレエ団「バレエ・リュス」の衣裳展です。

撮影は良くないかなと思って珍しく写真はないのですが、リーフレットが公開されていました。

兵庫県立芸術文化センターのHPを見ると、どうやらずっとちょっとずつテーマを変えて、コレクションを展示しているようですね。薄井憲二バレエ・コレクション企画展のページでたどって見ていけます。

☆おまけ☆

☆おまけ2☆この日は、行き帰りに、ちいかわ電車を見ることができました!(∩´∀`)∩ 



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