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八百屋のおじさん

私が5歳くらいの頃のお話です。

近所にこじんまりとした八百屋さんがありました。お店には野菜の他にも調味料やお菓子なども売っていました。母とよく通ったし、1人でおやつを買いに行ったりしていました。八百屋のおじさんはいつも元気で笑顔が素敵な人でした。

ある日、父がおもちゃのお金を買ってきてくれました。どうみても偽物のお金なんだけど、たくさんの硬貨や札束に興奮して
「このお金、本当に使えるの?」と何度も母に聞きました。
「これはおうちのお店屋さんでしか使えないのよ。明日お店屋さんごっこしようね。」
私はどんなお店屋さんにしようか、ワクワクしながら考えました。

翌日、私はおもちゃのお金を持って八百屋さんに行くことにしました。なぜそうしようと思ったのか覚えていません。本当に使えるのか試したかったのか、なかなかお店屋さんごっこが始まらなくてつまらなかったのか、単にお腹が空いていたのか・・・いつものようにお店でお菓子を選ぶとおじさんが座っているレジに向かい、ドキドキしながらおもちゃのお札を一枚渡しました。おじさんはしばらくお札をながめて
「このお金はいつものお金とちょっと違うから、おつりは渡せないけどいいかな?」と言いました。私は頷いてお菓子を受け取りました。

”なーんだ、このお金使えるじゃん”
お菓子を食べながらそんな風に考えて家の中をウロウロしていると、母がとても驚いた様子で
「そのお菓子どうしたの?」と聞いてきました。
八百屋さんで買ったと話すと、母はすぐに財布と私の手を取りお店に向かいました。

”えっ、また八百屋さんに行くの?私、もうお菓子はいらないのに”

慌てて店に入る母と私を見たおじさんは「もう来た、早いなぁ」といつもの笑顔で言いました。母は何度も謝りながらお金を払っていました。
「奥さんのことだから、すぐに来てくれると思ったよ」
「本当にすみませんでした。娘にはよく言い聞かせます。万が一、娘がまたこのお金で買いにきたら、そのときは受け取らないでもらえますか?」
母がそう言うと、おじさんは私に
「今回はおじさんが本物のお金と間違えてしまったけど、他のお店で使うとすごく怒る人もいるかもしれない。だから絶対にお外のお店で使ってはいけないよ」と言いました。初めてみるおじさんの真顔にびっくりして「うん」とだけ答えました。そしておじさんは母に言いました。
「この子を叱らないでおくれよ。受け取ってしまった私が悪いんだからね」

ふたりで手を繋ぎながら家に帰る途中、母は
「このお金は使えないって言ったでしょ?」と言いました。
「でも、お菓子買えたもん」と答えると母はムッとしましたが、それ以上何も言いませんでした。
”おじさんが間違えたのに、なんで怒ってるんだろう”
私もそれ以上何も言わず、母の手を握っていました。

しばらくして私たち家族は引っ越しました。昔住んでいた家の近くに八百屋さんがあったことも、八百屋のおじさんのこともすっかり忘れていました。いつしか私は母となり、いつ、どこで、どのタイミングだったのか覚えてないけれど、ふとその時の出来事を思い出したんです。

”あぁ、そうか、そういうことか”

20年以上経って、ようやく私は八百屋のおじさんの優しさに触れることができました。

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