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空っぽの僕と伽藍堂の7月

目まぐるしい大殺界が半分済んだ。
2023年上半期、すいも甘いも辛いも楽しいも全ての感情が身体を駆け巡る喜怒哀楽の激しい6ヶ月だったと思う。
綺麗な事ばかりじゃなかったけど綺麗なことばかり目立つね、とBiSHの曲が頭を流れる。そんな彼女たちも1番綺麗な時に、と先日のライブで解散した。

果たして僕にはここから残り半年もっと綺麗な日常はあるのだろうか?
何が出来るのだろうか?
何を残せるというのだろうか?
もっとこの街を好きになれるのだろうか?
何にもならない不安が心を襲う。
何か嫌なことを囁かれたつもりはない。
誰かが居なくなった訳ではない。
何かを無くした訳でもない。
これこそが本当の杞憂と呼ぶのだろう。
SKRYUだったら馬鹿は考え生きるとでも言うのだろうか。しかし生憎この馬鹿は無駄なことを考え過ぎるのだ。
ここ数ヶ月、普段は選ばないほうを選ぶようにしてきたつもりだが、ついには普段は考えないような事すら考えてしまうのか。

そんな先の見えない不安を抱えながら煙草をふかしていると、なんだこの胃の不快感。
吐き気。
用水路に駆け込み思いっきりゲロを吐いた。
あからさまに煙草の吸いすぎだ。
しかしながら、流れてしまう手前の刹那に見えた思い切りの吐瀉物は、さっき食べた棒アイス程度の大きさなのかちょびっとしか出てない。中途半端だなぁと思った時に悟った。
まだまだ今続けてることすら中途半端なのではと。
新しくやりたいことがない訳ではない。
新しく行きたいところがない訳でもない。
胃の中は空っぽだ。ある意味この雑念との別れでもあるのだろうかとすら思えてしまった。改めて単純な人間だと思う。
耳ではDIALUCKの「あの街まで」のラストサビが「バイバイ〜♪」と流れてる。
このiPhone7全く空気読めないなと思ったところでクスッとなってしまった。

少し考えすぎた。孤独との距離感を測り間違えた。それでいる内に心の平穏など訪れるわけなど無いのだ。
こうやって悩みの解像度をあげるより、先の見えない未来の解像度をあげたいものですな。

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