ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第一番 第三楽章
本当に心も体も弱っているときにはどのような音楽も受け付けることはありませんが、もし最初に聞くとするならこの曲しかありません。
ヒラリー・ハーンのこの演奏が特に良いと思うのではありませんが、検索上、この演奏がトップに出たからにすぎません。私が特に聞いているのはリディア・モルドコヴィチというヴァイオリニストの演奏するものですが、それもただ私が特に聞いているというだけで、クラシックの愛好家からすると邪道ではありますが、私は第三楽章しか聞かないのです。カデンツァと言われる独奏部分は私にはほとんど惹かれるところはなく、最初から最後まで通して聞くことはめったにありません。いわゆるわかりやすい泣きのメロディの第三楽章を私は特に好みます。
何度か交響曲の演奏会も訪れたことがあります。月並みですがやはり音が違うのです。楽器の音を鼓膜で感じるのではなく、ホール全体に反響する音を体全体であびるというのでしょうか、特に人の声のある合唱を含む楽曲では本当に言葉では表せないものがあります。同じプログラムの演奏会を二日続けて訪れたこともあります。それは誰もいない二階席の最後部座席で寝そべるように聞くことの出来たシベリウスの交響曲二番がメインの演奏会でした。帰りにメロディアスなその楽曲を小さく鼻歌で歌う人が二人いたのを覚えています。
確かに心も体も弱っているときにはどのような音楽も受け付けませんが、ふとしたときにこのヴァイオリン協奏曲を聞きたくなるときがあるのです。