Cheer Up!にたどり着くまで。その4

1999年。この年は念願のインターネット関連の仕事に就き(プロバイダのテクニカルサポート)、ITの知識を吸収することが楽しくなっていました。

私にとって運命の出会いがあった年でもあります。
ホフディランのワタナベイビーのインストアライブで、写真撮影会の列で隣り合った女の子。
彼女と何気なく会話を交わし意気投合。それがきっかけでフリーペーパー制作活動に突入したのです。
当時女子高生だった彼女はいろんなライブに通って、気の合いそうな人に声をかけていて、5人の女子で「日常の幸せ」をテーマにしたフリーペーパーを発行することになりました。

フリーペーパーを発行してみたい!とは前から思っていたものの、いざとなると何から手をつけていいか全くわからず。
でも、ここで集まった仲間にはデザイナーがいたり、友達とコピーで作ったゆるい冊子を作った経験者がいたりで、みんな深いことまで考えていることに驚きました。

フリーペーパーを作るなら・・・
・タイトルは?
・目的は?
・編集方針は?
・企画は?
・どんな紙に何ページで作る?形は?印刷会社は?
・デザインはどうする?
・どこに配る?

なんて、今なら決めるべきことがパッと思い浮かびますが、私は当時何もわからなかった。
編集会議の場で、多少のアイデアを出した程度で、あとは「私には向かないのかも」と焦っていました。
唯一この時楽しかったのは、メンバー全員が書くことにしよう!と決めたコラムでした。

コラムなんて書いたことなかったけれど、横浜で働いていた頃に横浜日劇で観た映画「私立探偵濱マイクシリーズ」のことを書いたら楽しいんじゃないかな?と思いました。
体調いまいちで会社をサボって伊勢佐木町をぶらついていた時にふと目に留まったポスターが映画「遥かな時代の階段を」。
もともと永瀬正敏さんが好きだったので、横道に入り、昭和ムードたっぷりの横浜日劇で映画を観始めたら、いま自分が歩いてきた道が映り、今まさに座っている映画館が映り、映画と現実の境目がないような不思議な感覚におそわれて。
予備知識もなしに観たものですから、「なんだ、これは?」と大きなカルチャーショックを受けました。
その後もシリーズ3作目「罠」を観に行った時には、特典でマイクが暮らしている映画館の2階の部屋を見せてもらって、案内してくれたのは映画にも出ている支配人。
社員寮の近くに、こんな不思議な場所があったなんて!と今でも忘れらない出来事です。

この不思議な体験、忘れられない感情をどうやったら文章で多くの人に伝えられるだろう?と、工夫したり書き直したり。
このフリーペーパー1号で文章を書く楽しさに目覚めたように思います。

その後も、フリーペーパーは雑貨、カフェ、フードイベントなど、当時の私にとっては馴染みの少ないテーマで順調に発行されていきました。
仲間との交流でだんだんこういったテーマにも興味を持つようになり、足を運ぶお店の幅も広がり、ミニシアターに映画を観に行ったり、いい影響をたくさんもらったなぁと思います。

2006年まで続いたこの活動の中で得たものはとても大きかった。
活動時期の後半には、自分も積極的にアイデアを出したり、ゲストの交渉もしたりするようになりました。
この経験をしていなかったら、Cheer Up!には繋がらなかっただろうなぁ。


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