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通知見てガッカリするのやめなよ

しばらくベルマークの通知を消してみていた。かなり快適だった。

いいところ

チラチラnote開く頻度が減った。

朝起きてチラ。1時間経チラ。お昼チラ。手持無沙汰チラ。書く前チラ。そのたびに来てる、来てない。一喜一憂。それがなくなった。
おかげで時間が増えたような気がする。集中している時間が長くなったからだろうか。ことあるごとに、スマホを手に取るたびに通知を見る言い訳を探していた。それを根元から除菌できた。おかげで考える時間がふやせた。

コメントに焦って返信しなくなった。

どうせこんなに待たせたのだから今更少しくらい考えるのも遅れたってしょうがないよね、という心境になれる。つまり、コメントして後悔することがなくなる。
即レスは悪い文化なのかもしれない。あとたぶんこうやって通知を頻繁に確認しないことを公言していれば怒る人もいないだろう。
コメントくれたみんなありがとう!

読まれてるかどうか気にすることがなくなった。

杞憂/邪推が減った。スキは数ではなくいつも読んでくれているひとが来ているかどうかである。そのせいで今までは誰が来てくれたか執拗に把握しようと努めていた。半ばメンヘラストーカー状態だった。例えば過去記事なんかは何を書いたかよりも、誰にスキされたかの方が思い出せるほどである。
なので反応が来ていなかったりすると、まだ寝てるのか/あとから読んでくれるのか/それとも気に入らなかったのか、というアスペ特有の深読み学習モードへと突入してしまっていた。相手の行動/心理を演算するのである。それをしなくなっただけで、本当に心がラクだ。

他人の文章を読むときに反応を期待する気持ちがなくなった。

例えば新しくおもしろい文章を書いている人を見つけたとする。その人にちょっかいをかけるような勢いでスキを投げつける。あわよくば、読んで欲しい。気に入って欲しい。そんな浅ましい考えをあまり抱かなくなった(なくなったとは言ってない)
あとスキを付けてくれた人が業者やbotじゃない場合、なんとかスキを返そうと、なんとか褒められる部分を探そうとする構えで記事を漁ることが減った。
自分の気持ちが純粋になったようでとても清々しい。自分をキライになるのはシステムの問題なのかも。

気軽にフォローできるようになった。

フォローはただ自分の目の届く場所に新しいオブジェを飾ってみる、それだけのことでしかない。気に入らなかったらもちろんすぐに片付けたい。だが、今ではフォローに余計な記号が付与され過ぎている。ただおためしで飾っただけだ。
それに伴う相手の反応・期待などを目に入れずに済む。そのため、合わなかった場合などにもヒンナヒンナして川に流せる。フォロー解除を気楽に。そういう関係で居たい。

デメリット

未だ見ぬ友達を見つける機会が減った。

noteはマッチングアプリだということに思い至り、ようやく得心がいった。友達マッチングアプリだ。ただし、文章を読み込まないと仲良くはなれない。文章として晒しているので嘘も付けない。メッセージスプリンクラーになっていれば出会えるというわけでもない。そんな中で新しい友達候補は貴重なのだ。通知を確認しなくなればせっかく自分のことを気に入ってくれるひとがいるのに(いるかもしれないのに)焦らすのはなんだかもどかしい。それでも仲良くなれる人は少しずつ増えてきている。noteを続けていたらいつの間にかいろんなひとがついてきてくれている(follow)。例え通知が身近になくても、そっちの方がより近くにいるような気さえしてくるのだ。

まとめて処理するので時間がかかる。

今日はずっと通知の確認とコメント返信をしていた。なんだそれ。そりゃまとめたら時間がかかる算段である。だがチラチラ気がチラするよりよっぽど有意義で濃くて代え難い時間だった。

フォローしてない人のところへ飛ぶのがめんどくさい。

あらゆるところのコミュニケート関係リンクを非表示にしているせいでフォローはしてない人のところへ飛ぶというのがとってもめんどくさいのだ。まぁ、履歴とかブラウザのお気に入りとか使えば解決するんだけどね。それフォローでよくない??

結論

みんなもやろう!

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