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日本語授業記録:授業を見てもらいます

明日の授業準備が終わりました。
ちょいと時間がかかりました。
明日、勤務する学校で授業見学があります。つまり、教務の方に見てもらうのです。緊張します。ちょっと嫌です。そもそも「授業見学」って何なんだ!誰が「見て学ぶ」んだよ!なんて、緊張のストレスから思ったりします。

でも、授業を第三者に見てもらい、フィードバックがもらえるのは貴重な機会。
日本語の授業を何年もやっていると、自分の授業が一つの考えややり方に凝り固まっていくような感覚すら覚えます。小さな変化はあっても、ブレイクスルーしないのです。う〜〜〜〜ん。
そんな時に、授業見学?の連絡があり、お受けしました。

おそらく、今回の授業見学は学校としての授業の質を担保するためのものです。教師の技術向上は二の次三の次でしょう。実施の目的としては。
しかし、現場教師の立場としては、学校の目的だけで留めてはならぬと思っています。学校としての目的は大事なことですが、それを受け身で考えていると「見られてダメ出しされて終わり」なのです。無意味な時間…
実際、学校はそんな酷いことをするつもりはこれっぽちもありません。しかし、授業を見られる現場の教師には、そう思ってしまうだけの大きなストレスがかかるのです。
実際、私の今日の授業準備は、終始『見学』が頭の中にありました。それで、妙に準備時間がかかったという…。
でも、この機会を、自分の授業に問題提起してもらい、現状からのブレイクスルーを図る機会と捉えたいと考えています。

でも、見学?する側にもお願い。
見学をしてフィードバックして終わりだと、やはり教務の方が「先生の授業を見て、ダメだしして、終わり」感が否めません。フィードバックの内容にしても「○○が良かった。●●はこうするといいのでは?」だけではなく、そこに、学校としての根拠が欲しいものです。それが、その学校の日本語教育にかかわる意味というものです。
理想を言えば、明確な評価基準があって、それをクリアしていけばどんな報酬があるのかがこの見学?以前に示されているといい。
それが、職業という労力を組織に提供する側の想いであり、願いです。

ああ、明日はその見学だわ。
何度も言うけど、誰のための見学なの?笑
でも、いい機会にしたい。そう願っています。

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