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「三浦春馬さんを語ろう」の続きを綴ります

noteに「三浦春馬さんを語ろう。13年間の思い出とこれから」を投稿してからもうすぐ3か月。

年が明けて、他のクリエーターさんの記事も読ませていただく余裕ができ、noteには春馬くんへの愛が溢れていることに気づきました。

何度かコメントを下さったはるまふじさんの「素敵な三浦春馬をあなたに」という期間限定企画が素敵だな、と思い参加させていただいたものの、いざ、書こうと思うと出てくるのは作品レビューより、あの記事を書く際に大幅に削除したことばかり。

作品レビューは他の方の文章が素晴らしくて。。。

子供の頃からテレビは歌番組中心で、映画と俳優にハマったのは春馬くん以外では中学生の頃友人の影響でリバー・フェニックスとトム・クルーズくらい。基本的に話題になる洋画を見に行く程度。20代前半のうちはドラマも見ていたけれど、会社をやめてフリーランスになって以降、毎週決まった時間に決まった番組を見ることがなくなりました。

お笑いと若手俳優さんにはトンと疎く、渋谷の喫茶店で一緒にいた友人が「隣にいるのMさんだよ!きゃー、かっこいいー!」なんて騒いでも「誰?」Mさんの名前と顔が一致したのは、アカデミー賞の授賞式なんてレベル。

だから、演技について語るほどの知識も観察力もなければ、脚本や演出に関しての見解は全くの素人です。

ただ、2007年秋にたまたまよくテレビを見ていて17歳の春馬くんに出会えたことに始まり、2008年夏から一緒に仕事をした方が、自称「少年隊時代からの筋金入りのジャニオタ」のお姉様だったこと。彼女と『ごくせん』話題をきっかけに仲良くなり、2011年3月までとても丁寧に春馬くんの雑誌やテレビ情報をいただくことができたおかげで、私の根底に「三浦春馬様」がどどーん、と鎮座しています。

2011年、2012年あたりはテレビのない生活をしていたのですが、幸いなことにその時期春馬くんはテレビ露出が少なく、情報収集にネットを活用し始めた私にちょうど合致。

渋谷に行くことが多く、ヒカリエの活用頻度も高いので、自然と五右衛門ロックのポスターやキンキーブーツの告知やパネルを目にしてはチケット売り場を覗き「完売かー」と呟き、ここにいるのねー、頑張ってねー、と身近に感じてみたり。

2017年のお正月は、実家(静岡)の新聞とテレビで大河特集がいっぱい。

ベースがあるから名前を見つけてはチェックしていた、というのはあるけれど、インスタもTwitterも活用せず、ほぼ受け身だった割にはご縁があったと思います。

もしも私があと10歳くらい若かったら、この13年間仕事にもっと余裕があったら、きっとチケット取りを頑張って見に行ったりしていたのかもしれませんが、幸か不幸か、あまりに可愛すぎたのと自分の生活に必死すぎて、「見守るお姉さん」になっていました。

ただ、そのおかげで、少し冷静に彼を取り巻く環境や世の中の反応も合わせて見てこれたように思います。そして、あまり私情に浸りすぎず書けるのかな、とも。それも必然ですね。

この半年、春馬くんの過去作品やインタビューを見ながら「ああ、この時こうだったな」なんて自分の思い出と記憶と重ねる日々。

noteフォロワーさんは最近ファンになった方も多いようなので、昔の春馬くんの活躍ぶりも共有できたら、なんて思いもあり。この数ヶ月間、ライター魂に火がついて、いつの撮影だったのか?なんてマニアックなことまで調べたことを記しておきたい思いもあり、春馬くんの活動(成長)記録も兼ねて、大幅に削った私の記憶と思い出を交えて書いていきたいと思います。

11月の段階ではまさかこんなに多くの方に読んで頂けるとは予想もせず。匿名アカウント作って投稿すればよかった、、なんて思うも後の祭り。「13年の思い出とこれから」は、現在47,000人以上の方にお読みいただき、2862の♡をいただいています。色々細かく語るには小っ恥ずかしい気もして、別アカウントを作って書こうと試みたものの、別人格として書くには無理があり、えいやっ!と、ここで公開することにしました。

どこまで書けるかチャレンジでもありますが、いつか「三浦春馬物語」なんて本や映画が出来る際に、参考資料にして頂けたら、と願いつつ綴ります。

三浦春馬さんへ、愛と尊敬を込めて。



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