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満員電車に乗らない、を基準に生きてきて思うこと。

近所の紫陽花が咲きました。
桜満開の中はじまった自粛生活

すっかり春のお花から夏のお花に変わりましたね。
この2か月で、近所のどこにどんなお花が咲いているのか、随分詳しくなりました。

こんなにお花を眺めたのは、造花の仕入れ担当をしていた時以来です。

20代後半、一番体が辛かった頃。

毎朝、「私はモノ。ただ運ばれるだけ」と自分に言い聞かせ、痛みも隣のおじさんの圧(暑?)も感じない「無」の状態にして、電車に乗っていました。

感情をオフにしないと、ぎゅうぎゅうの満員電車に耐えられなかったから。なのですが、オフにすればするほど「私はモノじゃない」という本能が反乱を起こしていたのでしょうね。

入社2年目から酷くなる一方だった肩こり&腰痛は25歳で悲鳴をあげ、何の病気でもないのに強制入院。(この時はやりたい仕事だったので無理しすぎたこともあり)

その後、仕事量緩和のために部署を変えてもらい「造花の仕入れとアレンジフラワー制作」というお花に囲まれた優雅な仕事にも関わらず、日々心は荒み、膝まで痛くなるという老化現象を起こし、

「私は40歳まで生きないだろう」などという終末的思考に満ちあふれ

28歳の時、世の中で一番華やかな「クリスマス商材」の担当という、歴代の担当者が代々胃潰瘍を起こしているありがたい出世話をいただいた瞬間にぷつんと自分の中で何かが切れ、何の目的もなく会社を辞めたのでした。

それ以降、「満員電車に乗らない生活」をモットーに生きてきた10数年。

山あり谷あり、でしたが、「満員電車に乗らない」が軸だったので、幸せでした。

それにしても、高校から電車通学をしていたので、2か月も電車に乗らなかったのは中学生以来!
一昨日、久しぶりに諸々の用事を済ませに電車に乗って出かけたら、夜はぐったり。「こんなに疲れるものだったのか」と実感しました。

何でしょうね。
乗り物に乗っているだけでも移動距離に比例して体は疲れるそうですが、電車も電気で動いているためなのか、電磁波を浴びるのでしょうか。それほど混んでいた訳でもないのに、眠気とだるさに襲われました。

リモートワークが広がって、世の中変わるのかと思ったら、多くの会社が元のように戻るそうですね。

「元どおりの生活ラッキー」という方もいらっしゃれば、「通勤電車きつい」と思われる方もいらっしゃると思います。

海外からいらした方は、東京の満員(まではいかない、普通に混んだ)電車には「乗れない」と仰いますから、きついと感じるのが普通の感性だと思います。

きつい、と思ったら、「普通の感性に戻った」証拠。無理しないで今後の働き方を考えていただきたいな、と思います。
不況まっただ中の時期に無謀にやめた私でも、何かしら生きてこれましたので。

なんでもかんでも手に入れようとすると「ない」ものばかり目に入りますが、「毎日満員電車で通勤しない」なんていう、ミッションや使命とはまるで関係ないような基準だったとしても、自分の中で「これ」という基準があると、それさえ満たされていれば結構幸せは感じられるものです。

辛いのを我慢して、自分を殺して無理をして頑張ると、ある時、心か身体が悲鳴をあげてしまいます。生活習慣病なんて、名前からして、まさにこの極みですよね。

痛みや辛さを感じるスイッチを「オフ」にすると、幸せを感じるスイッチも「オフ」になってしまうので、どんどん幸せからは遠ざかる連鎖に陥りがちになります。

日本は(特に東京は)今まで、我慢のスイッチが当たり前になりすぎていたのではないかな、と思います。
だから、モノも溢れ、治安も良くて、水も食料も十分あって、たくさん豊かさに溢れているのに、みんな「何かが足りない」「まだ十分じゃない」と欠乏感を感じている。

痛いものは痛い、辛いものは辛い、と言えるようになったら、もっと身の回りにたくさんある、小さな幸せや豊かさにも気づき、お金の問題じゃない「豊かさと幸せ」を実感した日々になると思うのです。

私は紆余曲折しながら随分長い年月をかけてこのことに気づいてきましたが、この機会に多くの方が気づいて、もっと人間らしく、豊かさを実感する日々を過ごして欲しいな、と願っています。
それはイコール、人と自然が共存する社会にもなり、いじめなどの人間関係の問題も解決されるのではないかと思うのです。

もっとも。。

散々苦労した自分の体のおかげで、いまは心と身体の健康が仕事になっていますので、人生全て、起きることに無駄はありません。

こうやって、毎日近所の花を楽しみにしたり、オダマキやカタクリなんていうマニアックな花を見つけて「こんなところに咲いている!」なんて喜べるのも、苦しんだ20代があってのことですから。



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