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会えない時は想像しよう

病の中にある人は、他の人を呼ぶ。
寂しい、だれかそばにいてほしい。

しきりに声を上げずにはいられない。

介護職員として、その焦燥感の傍にいるのは、苦しい。
同じように、わけもなくこちらまで焦りを感じてしまう。

だから、長いこと、終末期の患者さんとは心理的に距離を置くことが多かった。

その人を、何らかのかたちで側にいる自分が癒さなければ…
と思った時、無理やりその人の傍に行かなければという気持ちになり、
その人のためと言いながら、焦燥感を抑える自己満足のために相手に近寄って行ったことが何度もある。

おそらく、自分が解決しなくては
と、いつも考えていたのだろう。
それが、仕事だと、勝手に思っていた。
力が入るのだ。
自分が、相手の苦しみを和らげることができなければ失敗
和らげることができれば成功

でも、自分の持っている物差しでその時の関係性を測るなら、いつも失敗となる。

何回呼ばれても
二十四時間、その人のそばに居ることはできない。
できないものは、できない。
自分の仕事は、安全と安楽を守ること。

その声を上げる人が会いたいのは、これまで、その人の生きてきた時間、その人を大切にしてくれた誰かであることも多いのだから、
介護関係の中で初めましてを交わして間もない相手に何ができるのか

と最初から諦めるぐらいがちょうどいい。

と、思った瞬間、
限られた時間、逃げ出したい気持ちを持たずにその人の傍にいることができるようになる。
不思議だが、これは感覚的なもの。

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本題に入る。

その人の焦燥感を癒すヒントは、その人自身が持っているんだなぁと感じた話を聞いてほしいと思ったので、
夜中の三時にこの文章を書いている。

「誰か来てー、介護さーん、看護婦さーん、」
と呼ぶ高齢の入所者がいた。

コミュニケーションをとることができる方で、
「寂しい、だれか、痛い」
という声が聞こえる度に、職員は傍に行く。

一時間以上職員が側にいても、寂しい、痛いの声がだんだん強くなり、涙声から号泣へ

どうしたものか、
介護職員も看護職員も気に掛ける。

それでも、その方は面会に来た家族に会うと、顔が見違えるように明るくなる。
「元気だよ、痛くないよ、世話になってるねぇ」
ニコニコと幸せそうに。

そんなことがある日々の中で、家族の面会がなかったある日、
その方は、介護者に一生懸命に語りかけて下さった。

「家族に会いたいな、どうしているかな」
「大丈夫、自分はどこも痛くない、元気だよ」

自分に言い聞かせるように説明してくださる。

その話を聞きながら、考える。

もしかすると、弱さ、元気な姿を見せることで家族が会いに来てくれる頻度は増えると感じているのかもしれない。
もっと会いにきて欲しいのだろう
一人はさびしいのだろう

そう考えると、憐みの気持ちが起こってきた。

思わず、こう話していた。

「〇さん、ご家族は、〇さんの調子がいい時も悪い時も、会いに来たいと思っていますよ。でも、皆さんお仕事をしなければならないから、今はいないのです。」

「こんなに何度も会いに来てくれるから、みんな仕事中も〇さんのことをずーっと考えているかもしれません。」

「〇さんも、一人でいる間、皆さんのことを考えて、楽しみに待ちませんか」

その方は、家族に会った時と同じように顔を明るくして

「そうだね。〇〇ちゃん(ご家族)は今何しているかな、元気かなー」

とおっしゃり
そのあとのひと時、痛みや人を呼ぶ声は聞こえなかった。

そして次の日も、痛みを訴える合間に
「私は幸せ者、〇〇ちゃんも幸せ」
と呟く声が聞こえた。

あぁ、この方は、今さびしさや悲しさを訴えていない。
そう気づいて、少し驚いた。

家族が会いにきても、満足していないと思っていたけれど、今この方は一時的であっても満たされているようだ…

さびしさを忘れさせて欲しいと渇くのではなく、
自分の中にあるさびしさに自分自身で向き合っている。

さびしいと訴えるから落ち着くまでそばにいる、
ということが、この方のさびしさを解決しなかったこと。

側に行くことが必ずしもその人を介護することになっていなかったのだろうか。



「気持ち」を介護する上で大切なことは、
相手に対する想像力の働かせ方かもしれない。

例えば傷ついた人の姿をみて
その傷が癒えた時のその人の姿を想像できなければ、
傷の治癒のために行動を起こすこと、回復に希望を持つことは難しい。

その人が老いた時の姿しか知らず、
年若い頃があり、家族の中で守られ、
時間は無限に自分の前に用意されていると感じていた時期があったこと、
友人と時間を忘れて話したり、仕事をして仲間と遊び充実した日々を過ごしたりしたこと、一家の主人として家族を養ったこと、誰かと家庭を持ち家族を守ってきたこと…

悲しみの時間だけではなく、そんな幸せな時間が折り重なって、老いたその人の中に在ることは、
情報として知っていたとしても、想像できなければ今のその人の姿に結びつかない。

こうして、目の前の人を
生まれた時から老いていた人、生きている間ずっと、不自由を感じていた人、喜びを感じたことのない人、満足や幸せまで介助してもらわなければ感じることのできない人のようにみなす。

そうなると
与えようとする側はその人の嘆きや孤独を、その時、その場で何とかしなければと焦るばかり。

幸せを作ってあげよう
満足を与えてあげよう
もうこの人は自分で喜ぶ方法もわからないだろう
自分の感情の扱い方もわからなくなっているのだろう

さびしいと訴えるから、側に行って悲しみを解決しようとする姿勢には
このような思いが少しばかり背景にあるかもしれないと気づいた。

相手の経験を想像してみる
相手の悲しみ向き合う力強さを想像してみる

例え、今悲しくても暗くても
それがその人の今

喜びを、定期的に外からもらわなければならないほど、感情が貧しくなっているとは捉えず、この人が感じている感情に折り合いをつける時が来ると想像して期待する。

その人の状況がどうであれ、悲しみだけに注目しないこと

その人の中に、どのような状況であっても、相手は幸せを感じる種を持っていることを信じ、その種を育てるように働きかけること。

今、満足や幸せを感じる土台となる経験は、その人の中に既に在ることを思い出してもらうこと。

全ての人に当てはまらない考え方だとわかっているが、
これは人が人の側にいることについての一つの考え方として。

今日も長い文です。

読んでくださった方
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