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不幸の種から幸福の芽を出す 同じ水を飲んで蛇は毒を作り、牛は乳を出すよ

同じ水を飲んでも、毒蛇は毒を出すし、乳牛はおいしい牛乳を出しとはよく言ったもんだね。

不幸のように見えても、その受け取り方によって、そこから幸せになると言う人もいると言うことだからね。

それで思い出すのは、アウシュビッツに送り込まれて死を覚悟したビクトールフランクルと言うお医者さんだよ。

強制収容所にぶち込まれたら、それはものすごい不幸なことだし、そこで受けた不幸なんかも普通はトラウマになって長く引きずるよね。

だけど、この人は強制収容所送りと言う不幸体験を使って、多くの人たちを幸せにする心理療法と言うのを作りだしたんだよ。

それはどんなものかと言うと、不幸なことがあったときに、その不幸にあまりフォーカスしないと言うことなんだ。

つまり、不幸に苦しんでいる人と言うのは、ビクトールフランクルによると、自分中心だと言うことなんだよね。

心の中でその不幸や苦しみについて集中して考えていると、それが自己増殖していくんだよ。

そしてあたかも頭に大きな岩を乗せているように、その自分の考えによって自分が押しつぶされていくんだと言ってるよ。

これはこのビクトールフランクルが、いろんな人たちを診察してきて、導き出した結果だから信頼できると思うよ。

そういえば最近見た中国の映画で西湖畔に生きるというのがあったけれども、結局それも仏教の法華経の教えによって救われて行こうとする話だったね。

泥沼の中に咲く花のように生きるというのが、結局仏教の根本思想だからね。

結局、これも泥沼と言う不幸を栄養にして、どれだけ素晴らしい自分を生み出したと言うことだろうね。

そしてその素晴らしい自分を外に向かって花咲かせることで、多くの人に感化を与えると言うことなんだと思うよ。

これは仏教と言う所の無我に近いことだろうね。

仏教では五感煩悩と言うけれども、目の感覚とか耳の感覚とか肌の感覚とかそういったもので形成されてきた自分を、一旦強く否定しろと言うんだろう。

この考えで言うと、結局自分が感じている不幸と言うのも、肉体感覚でしかないと言うことなんだよね。

誰かの言葉で傷ついたとか、誰かから殴られて痛いとか、何かを見たからショックだったと言うことだからね。

だけど、そうした肉体感覚を全て否定したときに出てくる本物の自分というのが、仏教で言うところの真なる自己なんだろうね。

それは、成長し続ける自己でもあるし、花を咲かせて、見る人を喜ばせることもできる自分と言うことなんだろうね。

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