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原稿データが消えたので愚痴

こんな絶望はあるのだろうか。
保存したはずの原稿データが消え失せた……。
おかしな話だ。
ちゃんと保存していたはずなのに、丸ごと5000文字消えやがった(›´ω`‹ )
心が折れそうだ。
涙が出る。
せっかく、筆がのっていたのに。
なので、今日は少しだけ愚痴を書こうと思う。

私は人生によく悩む人間である。
その大抵の悩みが、誰といても酷い孤独感を背負ってしまうということ。
人と一緒にいて楽しいと思わないわけでもないが、
何かが少しずつずれていく感覚がぬぐえない。
自分とはどこか違う、同じ生物だとは思えない感覚がして、
誰に対しても、心を開くことができない。

それは私が発達障害で、幼いころから自閉傾向にあったせいなのか、
親に愛情を与えられず、虐待され、愛着障害を抱えているからなのか、
それともほとんど放置され、
感情が発達しなかったからなのかはわからない。

生後5年までにいろんな経験をさせないと感情の神経が広がらず、
あまり感情が育たない人間になるらしい。

私は幼い頃、公園で走り回る友人たちが声を上げて笑うのが理解できなかった。
何が楽しいのか一切わからなかった。
けれど、弾き出されるのが嫌で、一生懸命笑って冷や汗をかいているような子供で、もしかして自分には楽しいという感情が育っていないのでは?
と疑問を持って、子供の感情について調べて知ったことだ。

そんなこんなで私はよく笑うが、実際のところそれは人と潤滑なコミュニケーションをとるための作り笑いで、本当の意味で笑ったことがない。

それを自身はとんでもない恥だと思っているし、
幼いころから、それを親姉妹にすら誰にも話したことはない。
まぁ、いうほどの関係性ではなかっただけだけど。

そんな自分の未発達さをひた隠しにして生きていると、誰ともうわべだけのかかわりになってしまい、結局のところ、本心を話せる人間が一人もいなくなってしまった。

それでも私が関わっている相手に対して笑顔を向け続けるのは、
相手に安心感を覚えてほしいからだし、愛情表現の一つであることに間違いはない。
相手にはただ笑って安心して、私のそばにいてほしいと思うからこそ、人に笑いかけているのだ。
それを誰に否定されても、疑うことなく自分では愛情表現だと自信を持って言える。
他人がほかの生物に見えても、何も分かり合うことがなくても、結局のところ、私にとっては愛情を向ける対象物だとは思っている。

まぁ、こんな話をして受け入れてくれる人も少ないのだけど。
欠陥品であり、どこかしらの気味悪さが漂う自分は人に愛されずとも、情は向けている。
たまにそれに悩んだりはするものの、結果、何がどうあれもう、まっとうな精神構造を作り替えることはできないし、
他人にとってこれも性質の一つだと受け入れてもらえれば儲けものぐらいに思うことにしている。

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