恨みの渦には戻らない
私の実家は、お盆やお正月になると仏間に行って仏様や神様にご挨拶して、そこからは食卓へ移動して食事をとっていた。
兄はしたりしなかったりで途中から全くしなくなったのだが、母も父も挨拶しないことを責めはしてもそのまま食べさせていた。
お盆の間は朝と夜にお墓参りにも行くのだが、兄はお墓参りにも行かない。これも行かないからダメとは言うけど、行かせない。
跡取りだからという割に、こんなことしてたらつけあがるばっかりだよなぁと不思議だった。
兄がグレて暴力で返した日から、腫れ物を触るように何においても両親とも強制しなくなった。
家を継がないと言われるのも怖かったんだろうと思う。いろいろと怖いから、躾を放棄しちゃったんだ。
祖母もむちゃくちゃで悪いことばかりしていた人だった。彼女も嘘つきで自己中、そして怠け者。ダメなものが通ってしまう環境からくる歪みは世代を重ねてさらなる歪みを生み、後戻りできなくなってしまった。不条理がまかり通って、ありがとうと感謝と労いのない家はギスギスしてくる。長続きするわけがないんだよ。
親と子育ての方針がかなり違っていて、躾けたいのに躾にならなくて困ってる人は、その環境に居続けるのは悪影響でしかないよ。歪みは必ず形になって自分たちの苦しみになる。もしかしたら、矛先は家族以外の人になるかもしれない。苦しみの連鎖の始まりでしかない。
母も父も昔の人だから、自分の代で家を終わらせる覚悟はできなかったんだろうね。
私の実家は、母が跡取りで父が婿に入っている。近所の人に恨まれて放火されて全焼しちゃったくらい恨みをかっていた実家。
父の方の家は昔々のお殿様の家系だったそうなのだが、不正は何があっても許さないと厳しすぎたがために民に恨みをかって没落してしまったらしい。7代末まで祟って滅ぼしてやるってやつね。
今日主人が運転する車の横でそんなことをぼーっと考えていたのだが、そんなんもういよいよおしまいだってことなんじゃないの?って思ってしまった。そうか、終わりなんかぁって思ったら、すっと胸が楽になった。
母は実母に虐待されて育ち、罵声を浴びせ恨みと怒りで介護していた。私はそれが辛くて辛くて母が少しでも楽になればと手伝っていたけれど、やって当たり前で対応されていたのは辛かった。
皮肉なもので、頑固なのもウソをつくのも自分勝手で自己中なのも、母はどんどん祖母に似てきている。片付けられない、キレイに使えない、汚す一方なのもそっくりだ。トイレもひどい使い方をしているようで、この前帰った時に床の板がべこべこしていたから、たぶん漏らしてそのままにしているのだろう。近々、床が抜けるかもしれない。
散々罵声を浴びせて、罵りバカにしてきた人にそっくりになってるなんて、母はちっとも思ってもいないだろう。
嫌だ嫌だと言っていてああはならないと何度も言っていたのになぁ。
電話を切って私をコントロールしようとしてるけど、そんなことをするなら私も知らない。ケアマネさんとは連絡を取るけど、母が申し訳ないと謝るまでは連絡しない。思い切り困ればいい。
今のまま変わらないなら、死ぬときも子どもたちからひどい目にあったと恨みながら死んでいくんだろう。不義理も感謝のなさも、相手を責めている言葉全部が自分のまいた種だとも気がつかないで、他責で悲劇のヒロインのまま。
それでもいいんだ。悪いけれど可哀想な人だとしか思えない。
自己保身が一番で逃げ続けてきたのなら、今世で向き合わないといけなかったのにやらなかったことを、次に産まれてくる時の大きな大きな宿題として死ぬ時に全部あちらへ持って行ってくれ。
恨みの連鎖は終わらせる。私は、恨みの渦の中には入りたくないし入らない。2度とあの渦の中には行かない。私は私の生き方で、母と向き合う。
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