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ほんとにあったSNSの怖い話(実体験)[今月のコラム]

いろいろとカオスな8月が終了。個人的には、とくにSNSとの付き合い方に戸惑う1か月だった。暴言の誤爆投稿をきっかけで人気者がメディアから姿を消したり、「◯月◯日に大地震が来るらしい」というソース不明のつぶやきがフィードを埋め尽くしたり、“それって個人の感想じゃん”というものに対してディスリコメント・人格否定コメントが群がったり。

言論の自由・表現の自由ってこういうことだっけ?
コナンくんの[言葉は刃物]って言葉、知らんの?
顔が見えないのをいいことに、匿名性なのをいいことに、ちょっとなんだか違いませんかねぇ……そう思うことが多かった。

まぁ一番の問題は、イヤなら見なきゃいいのに、5分に1回スマホを開いてしまう自分の習慣なんだけど。

で、本題はここから。
そもそもわたしは過去の実体験から、SNSは“身バレするもの”だと思っている。今は基本、実名でSNSをやっているし、だからこそ言葉一つひとつに気をつけている(つもり)。
SNSの世界は思っているより狭い。神さまはちゃんと見ている。

・・・・・

さかのぼること10数年前。
その日は金曜日。仕事帰りに同僚と飲み会を楽しみ、終わり次第、わたしの住む場所から電車で30分くらいのところに住む、彼氏の家に向かう予定だった。思いのほか飲み会が盛り上がり、乗ったのは終電。ダッシュで飛び乗ったが、華金なので当然席は空いておらず、目の前のつり革につかまった。
「今から終電で向かうよ〜」
そう彼にメールを打ち終えると、ふと斜め前に座る人のネイルに目がいった。見覚えのある個性的なデザイン。あれ、どこで見たっけ。酔った頭で記憶をたどる。たしか、Twitterで見たような。
思い出したその瞬間、これはまじなんだけど、すべてがスローモーションになった。

・・・
この頃、わたしは修羅場を乗り越えたばかり。
彼をめぐる女の戦い。8年ほど付き合ったわたし vs ぽっと出の年上浮気女(あえて失礼な表現をさせてもらっていますが、わたし視点なのでご容赦を)。
この事件は別のnoteでも綴っていますが、流れを超かんたんに整理すると、彼が浮気→わたしがフラレる→彼からヨリを戻そうと申し出&プロポーズ→[今ココ]という感じ。
勝利の余韻に浸りたいところではあるが、待っていたのはまさかの第2ラウンド。戦いのリングはSNSに。
当時のわたしはTwitterをはじめた直後。彼も年上浮気女(以降は「先方」と呼びます)も公開アカウントがあり、ふたりのやり取りが丸見えだった。彼が何かつぶやこうものなら、先方が即座にリプライ。スピードで挑んでくるならこっちは質で勝負やと、わたしは彼と一緒にいるときの匂わせ写真を投稿。こうして見えない戦いはヒートアップ。SNSの中毒に侵されたわたしは、正妻(仮)にもかかわらず、嫉妬にまみれた悲しきSNS探偵となり、不安を拭うため、先方の投稿を隅から隅までのぞき見。最新投稿も欠かさずチェックしていた。
・・・

そう。わたしが今目にしているのは、Twitterで見た彼女の最新のネイル。斜め前に座っているのは……先方だ。顔は確認できていないが、こんなにたくさんの人がいる終電で、よりによって斜め前。その距離わずか2m。あわや車内が第3ラウンドと化す寸前。
心音が爆音になり、つり革を持つ右手が震え出す。でも大丈夫、先方はわたしの顔を知らない。今も雰囲気的に誰か仲間と話しているっぽいし、バレていない。そう言い聞かせ、先方の顔を確認しようと、左手に持ったスマホを打つフリして、少し顔を上げた。

そしてわたしの目に飛び込んできたのは、広げたハンカチで思いっきり顔を隠す、先方らしき人物の姿。おい、パパラッチに追われた芸能人か。
ていうか、完全にバレてるじゃん、わたし。
おそらく、先方も同じようにわたしのSNSをチェックしていたんだろうね。先方らしき人物は顔を隠しているけれど、一緒にいた仲間はめちゃくちゃ気まずそうな顔してた。絶対そっちの飲み会でわたしの悪口してたじゃん〜。

緊張と笑いが共存するなか、次に気づいたのは、先方の最寄り駅が彼と一緒なこと。つまりここから30分時間をともにし、駅に迎えに来た彼とハチ合わせすることになる。想像しただけで足もガクガク震えてきた。
しかし、今から彼に会うのはこの、わ た し だ。マウント心だけがわたしのからだを支え、“え? は? こっちは全然気づいてませんけど? つか、どちらさまですか?”という雰囲気を醸し出しつつ、途中の駅で人が降りるたび、少しずつ距離をあけていった。

とある駅でようやく席が空き、わたしも座れるように。ふと見れば、先方はいなくなっていた。どうやら仲間と一緒に途中で降りたらしい。第3ラウンドはJRを巻き込んだ争いにならずに収束した。
それにしても、こんな恐ろしいほどの偶然が起きるなんて。

・・・・・

このハチ合わせ事件以降もSNS中毒は治らず、「見ないと不安」から「見ることで余計不安になる」という考えに切り替わるまで、ずいぶん時間がかかった。今考えれば、ほんとうに無駄な時間。

でもまたこうして「見ないと不安」病が再発している。
30歳頃までは、友人の結婚・出産の投稿を見るたびに心がチクっとし、うらまやしいという気持ちで自分がイヤになった。最近はというと、がんばっている知人の投稿を見て焦ったり、「あんたの職業なんだよ」という謎インフルエンサーが儲けているのを見てみじめな気持ちになったり。
自分の仕事を考えると、完全に切り離すことはできないSNS。こうしてときどき、気持ちの波を乗りこなしながら、有効活用できるように自分が切り変わっていくしかないんだな。要はバランス、でしかない。

そしてもうひとつ。たとえ匿名でやっているとしても、たとえ相手が見えないとしても、自分の発言には責任を持つ。発する前に想像する。当たり前すぎることだけど、ネットの世界では、投稿を消したとしても、デジタルタトゥーとして残る。過剰にビビる必要はないけれど、過剰に相手を攻撃する必要もない。


ハチ合わせ事件の夜、のぞき見した先方のTwitterにはこんな言葉がつぶやかれていた。

「 なんで、なんでなの、神さまのイタズラなの 」

わたしはこれを超える美しくポエミーな投稿に出会ったことがない。あの一触即発な状況を、こんなかわいらしく、しおらしく、被害者ヅラで表現できるなんて。そら、わたしは勝てないわ。
妙な納得感とともに、一生心に残る言葉となった。

先方のいう通り。
SNSの神さまは、いる。そしてちゃんと見ている。
神さまにイタズラされないように、みんな、SNSは清く正しく、責任と覚悟をもって利用しましょう。











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