アラサー娘&アラ70親の等身大!~久々の再会3日間での気づき~
アラサーにもなると、
両親と外出するチャンスは
めったにありません。
先日、父親が70歳を目前に
雇用先を退職する記念として
娘のわたしのもとへ旅行しに来ました。
3日間、両親と過ごして感じたのは
『両親のもとを巣立つことが出来て、
よかった』
とポジティブに思えたことです。
今日は、そんな心境をふまえ
アラサーVSアラ70歳両親とのふれあいを
つづってみます。
①たまに会うのに、数時間が限界
ケンカするワケでもなく
会話が無いワケでもありません。
わたしの母親はやや高齢出産であるのと、
両親は田舎暮らしというのもあって
文化レベルが
平均的なアラ70歳よりも
昭和感がつよめです。
この開きは年々増していると感じます。
✅話が合わない
✅価値観も合わない
✅食べ物の好みも合わない
久しぶりの両親との触れ合いですら
フラストレーションを感じました。
②両親から卒業できて、本当によかった
わたしは心から両親に感謝をしています。
同時に、両親から卒業し
理想の生き方に近づこうとした
過去の自分をほめたいです。
親離れできなければ
おそらく田舎に舞い戻っていたでしょう。
文化レベルがとてつもなく遅れた
生活をしていたことでしょう。
今の生活レベルを維持できている事実と
大学まで世話をしてくれた両親に
感謝の念がわきおこります。
③『知らぬが仏』の生き仏が両親
わたしの両親は、良いものを知りません。
たとえば
壊れたタブレットケースに
5年前のタブレットをいれて
中途半端に使いこなせずにいます。
ドコモの携帯料金に搾取されています。
美味しいものを食べていません。
でも、両親はとても幸せそうです。
今回、両親と行った食事屋が
どこにいってもマズかったのですが
両親は文句も言わず
満足気に食事をぜんぶ平らげていました。
美味しいものを知りすぎた自分は
幸せコストが爆増しすぎて
マズい食事屋で不平が爆発してしまいます。
でも、両親はそんな事態は起きません。
ものを知りすぎるのは、
自分の首を絞めることでもあると
両親を見て気づかされました。
④枯れているのに、足腰は元気
わたしが見る限り、高齢者は
【パリッとしている】か【していない】か
2パターンに分類できると思っています。
両親は、見た目は【パリッと】しておらず
たんぱく源が足りていない
しぼんだ姿をしています。
けれども、
✅1日20キロは歩ける
✅食事は出されたものはしっかり食べる
という健康習慣?からか
『人間としての底力』はまだまだ健在でした。
⑤親の老化に気づいて優しくしなきゃ
以前のワーママはる氏のVoicyで
『親の視力低下で本人たちは
実家が汚れているのに気づかない』
という視点に気づかされました。
両親の老化に目線をあわせないと
溝は深まるばかりです。
でも、アタマでは分かっているものの
やっぱり優しくしてあげられない・・・。
【余談】母の御朱印あつめが鬱陶しい
最近は、コロナの影響とかこつけて
神社側が直筆ではなく
紙に印刷した御朱印を500円で販売しています。
『こんなのボッタくりじゃん!』
と、興味のないわたしは思わず
母親と口論になりかけます。
母親は、生き急いでいて
どの旅行先でも『御朱印神社』
ありきになるので
わたしも御朱印に振りまわされます。
母は、神や仏にすがりたい年ごろのようです。
むすびに:親子は離れているくらいがちょうどいい
犬も猫も
自分の親がどれなのか分からないまま
成長しますよね。
人間は同じようにいかないにしても
ある程度大人になったら
いい意味で他人でいいと思うんです。
適度にキョリを保ちつつ
自分の人生を楽しんで
有事のときは助け合えばいい。
両親が仲良しなのが幸い、
わたしは適度に構われなかったから
自立心がはぐくまれました。
自立上等でこれからも
両親と適度に関わっていこうと思います。
本日もご覧いただきありがとうございました🥰
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