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お別れ

私たちはとても大切に思っていたものや、人と別れるとき、時間が必要だ。

大好きだった人、大切にしてきたもの、やめたいと思いながらやめられなかった習慣。

私たちはそれとともにたくさんの時間を過ごして、降り積もったたくさんの気持ちや想いがある。

あるときそれがもう自分にフィットしないと気づいても、その瞬間からそれを切り捨ててしまえるわけじゃないのだ。

あるものは私を元気にしてくれて、あるものは私を幸せな気持ちにしてくれて、またあるものは私を安心させ、私を生き延びさせてくれたかもしれない。

それが依存症とか、ネガティヴと言われるような習慣であったとしても、それは一時的に私たちを守ってくれたのだ。

そんな愛着のあるものとお別れする時、お別れを受けいれる時間が必要だと思う。頭の理解とハートがそれを受けいれることはまた別なのだ。

悲しんだり、愛しんだり、感謝したり、自分を労ったり、徐々にお別れすることを受けいれていく。
それは私が過ごしたその尊い時間たちを、想いたちを弔う時間でもある。

その時間の長さは人によっても、お別れするものによっても違ってくるだろう。

そんなふうに自分を見つめて、必要なだけ時間をかけて、お別れできる時が来るまで、静かに待ってあげられたらいいと思う。
自分が納得できるまで時間を使ってあげていいのだ。

それは自分を慈しむ、優しい時間だ。

昨日は一日部屋の中にいて、「ブラームスは好きですか?」という韓国ドラマを見ていた。

このドラマはラブストーリーだけれど、それと同時に、自分が愛してきたものや人とお別れをする過程がとても丁寧に描かれている。

これを見て、私も自分と、自分の気持ちを大切に扱っていきたいと思った。
今年はそんな年にしたいと思っている。

そして、やっと何かとお別れすることを、こんな風に優しい気持ちで見つめられたことをとても幸せに思う。

私はまた一つ、何かを手放せそうな予感がしている。

さよなら私、おかえり、私。

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