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私がロシア生活でも大丈夫なわけ②

私がロシア生活でも大丈夫なわけは、いくつかありますが、一つは中学校時代に剣道部だったからです。

剣道部と言えども、私の中学は県制覇を目指し、全国大会出場をする強豪チームでした。

朝7時から朝練が始まり、夜も6時半まで稽古。土日となれば、全国制覇をしているような強豪地区へ遠征。上下関係も厳しく、先輩が来る30分前には道場についていなければいけません。休みはお正月の3が日のみ。1つ上の先輩が県制覇を成し遂げ、2連覇がかかった私たちの代は、さらに過酷でした。2連覇のプレシャーは半端でなく、県大会前日のミーティングは今でもよく覚えています。それでも、2年連続県制覇したときは本当に嬉しかったです。

私は小学校卒業と同時に転校したので、剣道部がこんなにも厳しいと思わず、入部しました。遠い地域への転校だったので、言葉が全く違って、同級生や先輩の言葉が聞き取れないこともよくありました。

入部したときは、体重は40㎏あったと思いますが、夏休みまでで35㎏に体重が減り、ガリガリでした。それでも、ひと夏を超えたら、お弁当箱2つを食べてしまうくらい、大食いとなり、体重も40㎏まで戻りました。

入部してまもない6月、3年生のキャプテンと稽古中のこと。漫画のような体験をしました。キャプテンは体当たりが強くて、35㎏の私は、ものの見事に飛びました。かなり飛んで、男子更衣室へ突入。男子更衣室の床に仰向けに倒れてたら、立てかけてあったものすごい数の竹刀が私の体の上にバタバタと倒れてきました。心の中で「漫画みたいやん」と思い、不思議と痛いとかはありませんでした。逆に、倒れた分、起き上がれるまでの数秒休めると思っていました。さすがに、顧問の先生もこの時は駆け付けてきて、大丈夫かと言われたのを覚えています。もちろん、そのまま稽古続行です。

2年生になった時に、別の中学の先生が来て、その中の話が私の心に残りました。「面が速くなるには、面を打った後、速く抜けるといい。しかし、これは、1日やったからって、すぐに結果が出るものではない。半年はかかる。」と話しました。私はこの言葉が妙に残り、翌日から、早速、面を打ったら速く抜けるということだけを考えて稽古をしました。陸上トレーニングの時も山道の坂道ダッシュも今までより速く走ります。4月からこればかり意識していたら、8月のある日、先輩との稽古がしにくくなりました。なぜか分からないけれども、今までと違い、お互いにやりにくいなあと思っていました。そして、先輩が引退した9月。先生との稽古中に、いつもは鬼のように怖い先生が「ええぞ。」と満面の笑み。自分でも知らぬ間に、強くなっていました。10月の新人戦でさらに、実感しました。4月から速く抜けることを意識して稽古を続けた結果が出た時でした。

これはほんの一部のエピソードで、もっといろいろありました。休みもほとんどなく、2年半厳しい稽古に耐えたから、あの剣道部時代を超えるほど過酷なことにその後の人生で出会っていません。もちろん、ロシア連邦でも、剣道部時代を超える厳しいことには遭遇していません。

中学時代に剣道部だったからこそ、私はロシア生活でも大丈夫です。



#部活の思い出

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