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11月20日はトルストイの命日

1910年11月20日にトルストイは亡くなりました。2020年は没後110年になります。

これは、ヤースナヤ・パリャーナにあるトルストイのお墓です。

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いつからだったか、母が「死ぬまでにトルストイのお墓参りに行きたい」と言い始めました。
私もロシア連邦に興味があって、ロシア旅行に行き始めたころ、もしかしたら、母をトルストイのお墓参りに連れていけるかもしれないと思い始めました。

私の仕事や夫の仕事の都合もあり、行くのは今かも?と思った時に、トルストイの邸宅があったヤースナヤ・パリャーナへ母を連れて行きました。夫にはモスクワから車を運転してもらいました。

そして、到着したら、モスクワと違って、ロシア連邦の大自然が目の前に広がっており、夏は日も長くて、母は大感激の旅となりました。

お墓の前で、般若心経を唱え始めたくらい、母にとっては感慨深いものだったようです。

母は小学校6年の道徳か国語の教科書でトルストイの「人にはどれだけ多くの土地がいるか」という話を読み、それから、トルストイが大好きになったようです。

ヤースナヤ・パリャーナについては、別記事でまた書きます。

この時の母の旅は、モスクワでも、トルストイの博物館をめぐり、銅像を見て、美術館ではトルストイの肖像画を見てとトルストイ尽くしの旅になりました。この旅の1年くらい前から、私が探し回ってもトルストイのマトリョーシカを見つけることができなかったけれども、この時、偶然、市場で見つけ、私が片言ロシア語で、「母はトルストイが好きです」と言ったら、店員さんが割引にしてくれてというのもありました。

私は、トルストイ全集も片っ端から読んでいて、日本へ帰国できたら続きを読みます。

また、現在見たい映画の中にもトルストイ作品があり、それを見終えたら、記事に書きます。

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