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イランの世界遺産と王朝

イランの世界遺産は王朝と絡む部分が多いのでまとめることにした。

エラム王国

紀元前13世紀にエラム王国のウンタシュ・ナピリシャ王がスーサの南に「チョガー・ザンビール(大きな籠のような山)」を建設。当時は50m近くあったらしい神殿ジッグラドを作り上げた。

アケメネス朝ペルシア

紀元前6世紀頃に栄えた王朝。キュロス2世によって最初の首都「パサルガダエ」が建設された。「パサルガダエ」とは別に、文化的景観が認められている世界遺産として「ペルシア庭園」の構成遺産であるパサルガダエ庭園が登録されている。

その後、3代皇帝ダレイオス1世によって「スーサ」に遷都した。スーサはアケメネス朝ペルシア以前はエラム王国の首都であった。ダレイオス1世が王位についた記念碑が「ビーソトゥーン」に作られた。このレリーフにはメディア王国の神官であるガウマタを踏みつけているダレイオス1世が描かれている。

アケメネス朝ペルシア全盛期。ダレイオス1世がパサルガダエからスーサに遷都するタイミングで、宗教都市「ペルセポリス」の建設が始まった。彼の宮殿はタチャラと呼ばれており、息子の名を冠したクセルクセス門も作られた。

アケメネス朝ペルシアは、ゾロアスター教を国教とし「タフテ・ソレイマーン」が聖域となった。後のアルダシール1世が3世紀にアケメネス朝の復興を目指してササン朝を開き、拝火壇(アザル・ゴシュナスブ)としてタフテ・ソレイマーンを聖地とした。7世紀にビザンツ王国に破壊された後、13世紀にイル・ハン国によって少し再建したが廃墟となった。

ゾロアスター教といえば、「ヤズドの歴史都市」にはイスラム教、ユダヤ教徒共存してゾロアスター教の寺院がある。

ササン朝ペルシア

3~7世紀に存在した王朝。スーサを起源とする都市「シューシュタル」において、ササン朝ペルシア時代に水利システムが築かれた。ガルガー運河は今でも水を供給している。

ササン朝ペルシアの始祖アルダシール1世は「ファールス地方」を最初の首都とした。「ファールス地方」にはアルダシール1世の後継者シャープール1世の建造物も世界遺産として登録されており、シャープール洞窟や古代都市ビーシャープールがそれに該当する。

ズィヤール朝

4代皇帝カーブースの墓である「ゴンバデ・カーブース」が11世紀に作られた。14~15世紀にモンゴル帝国に破壊された。

サファヴィー朝

繰り返しコーランを唱え、神との一体を求めるスーフィズム(イスラム神秘主義)のサファヴィー教団の祖シャイフ・サフィ・アッディーンは16世紀に「アルダビール」を拠点に学校や病院などを作った。シャイフ(長老)の道を神秘主義7つの段階に因んで7本用意、8つの態度を基に門を8つ設けた。

サファヴィー朝5代皇帝アッバース1世は「イスファハーン」にコーランに記載された楽園を手本とする都市を建設。イマーム広場やシャイフ・ロトフォッラー・モスク、カイセリーヤ門などを設けた。カイセリーヤ門は「マスジェデ・ジャーメ」まで続いている。また、ティムール朝の宮殿にアッバース1世は2層の建物を付設し、アリー・カプー宮殿を作った。

一時期は「タブリーズ」が首都であり、中東最古のバザールが生まれた。

カジャール朝

18世紀にテヘランを行政の中心地として、ナーセルッディーン・シャーが西洋の建築技術を織り交ぜた「ゴレスタン宮殿」を建設した。ゴレスタンとはバラの園を意味する。




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