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俺とART-SCHOOL

好きなものに出会って、好きを掘り下げていくと、俺の好きなものはこうだという指標が作られてくる。
特に音楽はジャンルに名前がついているし、言語化出来た方が他人に発信もしやすい。
ロック。いやいや、幅が広すぎる。全て好きなわけじゃない。俺は内向的だけど攻撃性もある。出来ればなるべく感情を、この、内に篭り過ぎて爆発寸前なこの感情を、俺の代わりに歌ってくれているような、そんな歌が好きだ。
その瞬間にカタルシスを感じているのだ。だからもっとそういう音楽が欲しい。

「俺の好きな美しくて暗いロック集」「鬱ロック集めてみた」
好きだった椎名林檎やTHE BACK HORN。曲によってBUMP OF CHICKENなんかもたまに入ったりする。
「鬱ロック」と呼ばれているようだ。なんか凄いダサい呼び方だなと思った。
そしてそれらは鬱だけじゃなく、美しいと呼ばれることも多かった。それはわかる。

俺の住む町は途方もないくらいの田舎で、何も無いからこそ俺はこの町が嫌いだったし、何も無いからこそこういう音楽と景色が最高に気持ちよくマッチした瞬間があった。
特に秋冬の乾いた空気と合わせたときこういう楽曲と景色と俺の無敵感といったらない。
登下校の際に歌に合わせて自分がミュージックビデオの主人公のような気持になったことはないか?俺は度々あった。
その瞬間はどんなものよりも耽美的だったと感じていたし、明るく笑っていたJPOPよりも俺の心や世界に寄り添ってくれていたからかもしれない。

そういったわけで、俺はART-SCHOOLとSyrup16g(他多数)にはこの時出会うのだが、当時一番アツかったのはART-SCHOOLの音楽だった。

ギターの音色、とりわけパワーコードというものをはっきり認識したのはこの曲だった。
それまでも他の色々な楽曲、特にロックチューンには使われることの多いコードだが、俺はこのギターの音に何とも言えないくらい痺れた。
この曲は目立ったギターソロも無ければ、リードギターはアルペジオの繰り返しだし、言ってしまえばめちゃくちゃシンプルな曲だ。
しかしそのシンプルさが、その繰り返しが、この何処にも行けない町と重なった。
美しい瞬間もあるのに、ただただ閉塞感だけが募るこの世界を鳴らすノイジーなギターの音がたまらなかった。
何処にも行けないからこそ、それをぶち壊してくれるような、甘い安心感に溺れた。

兎角ここには俺の居場所はないと感じていた。
とりわけ友達が少なかったわけでもないけれど、顔ぶれの変わらない面子。
良く知らないスポーツ、良く知らないゲーム、良く知らない先輩、良く知らない恋。
共通の話題なんて殆ど無かった。退屈だと感じた。なんで俺から歩み寄らなきゃいけないのだとも思った。
そうこうしていると、気にかけてくれる友人も他に仲のいい友達が出来たりする。俺とは特定の話題だけ話すが、それ以外は殆どない。
当然、俺が良くないのは百も承知だが、こういう状況になると人間は更にひねくれる。
俺はとことん好きなものに突っ走ることになった。相手のことを理解しようなんて気持ちが微塵も育たず、インターネットの先人たちに甘やかされる。
先人たちは顔も見えないが年齢は上だということは分かっていた。彼らはたくさんのことを教えてくれた。
今でもそのことには感謝している。コミュニケーション能力は決して未だに高いとは言えないが、この頃かろうじて俺が生を繋いでいたのはこういう居場所があったからである。

この気持ちはこのART-SCHOOLと出会う前にピークを迎えており、年齢と環境と共に減少はしていたが、一度ひねくれた人間はそう簡単に変わるはずなく、俺は常々孤独を感じていた。
良くある自意識過剰なのだけど、俺の存在なんてなんも価値がないと思っていたし、例えここで死んでも誰も彼もが忘れていくだろう。
こいつらなんて所詮そんなもんで、理解しあうなんて程遠いと感じていた。こいつらに理解されてたまるものか。
何て、年を取った今こうやって文字に起こすのは随分恥ずかしい事だが、多分これは数多の少年が抱える「自分だけの問題」のように思える。

そういう感情に音楽というのは、とてもよく利いた。
「水の中のナイフ」を聴いてから、すぐに楽曲を聴き漁った。
ART-SCHOOLはこの頃1期と2期(※1)と呼ばれる時代があり、ざっくり聴いたところ俺は1期の音楽が好きだと感じた。
勿論2期も聴いていたのだけど、単純にギターの音がキラキラした仕上がりになっていたのが当時はすぐ受け付けなかった。

そして相も変わらずTSUTAYAに行くわけだが、俺は初めて「CDが置いてない体験(※2)」に遭う。
「LOVE/HATE」「BOYS DON’T CRY」「PARADISE LOST」「スカーレット」「あと10秒で」あたりだろうか。
俺はレンタルをためらった。これは何度も出てくるが学生には5枚1000円のオトクシステムを利用するほかない。
1期はほぼインディーズのリリースの方が多いのは認知していたが、これほどまでとは思わなかった。
ところで、この頃異常に拘っていた事として実施していたのは、気になったアーティストは「なるべく古い順から聴きたい」だった。
つまり2期から聴くのは初めから選択肢として無かったわけだ。

そしてこのTSUTAYAにはBOOKOFFが併設されていた。
このBOOKOFFも良く利用していたが、それは俺がゲームソフトを買ってもらうためにしかほぼ利用したことが無かった。
そこには中古CD(恐らくレンタル落ちとかも含む)が置いてあるのは前から知っていたが、望み薄な気持ちで俺は初めてそこを覗いた。

そこで出会ったのは「Requiem for Innocence」そして「SWAN SONG (disk1)」だった。
ラッキーとも言える出会いだった。俺はお小遣いと相談せず買った。
SWAN SONGはラッキーだったと思う。廃盤で当時ヤフオクくらいでしか買えなかった気がする。
幾らだったか…5000円くらいか?兎角それを700円で買った。Requiemはアルバムだったので1000円ちょっとだったと思う。
とにかく俺はルンルンで帰宅し即再生をした。

アルバムレビューのように書いてしまいそうだが、ギラギラした音がズンズン入ってくるRequiemは一瞬で好きになった。
車輪の下、メルトダウンで使用されている半小節みたいな変なフックも楽しいし、欲望の翼みたいな気持ち悪い歌詞(誉め言葉)
foolishのブンブンと鳴るイントロと良い、インパクト絶大、タイプ一致の効果抜群で俺はもう全身で楽曲を浴びていた。

(※1 後に3期、4期まで増えるなんてね…)
(※2 細かく言えば初回記事の時のTHE BACK HORNもインディーズ盤「甦る陽」も置いてなかったが、時系列的にはこっちの方が先)

続いて「SWANSONG」を聴いて俺は最高になり過ぎて、直ぐに借りれるだけ借りて残りの音源を手元に揃える。
インディーズ曲は苦労した。なんかTSUTAYAをくまなく探したら変なところにあったりした(気がする)。
ART-SCHOOLの楽曲や歌詞の変遷は色々あるが、初期はとにかく凄いくらい、滅茶苦茶に影響を受けた。

そしてそれを歌う木下理樹という男に気が付けば心酔していた。
良くも悪くも天才肌気質(のように見えていた)ところや、人とかかわるのが苦手といった社会不適合者な部分をより一層自分に重ねていた。
なりたいと思っていたわけではないのだが、木下理樹のぶっきらぼうな佇まいや、言動が俺にそのままでいいと肯定してくれているように感じていた。
後世の為に言える事はこういう人間には憧れるもんじゃないぞ。挨拶はしっかりしよう。

音楽的な部分に話を戻すと、彼らのルーツ、というよりオマージュ…と敢えて言っておくが洋楽からの要素がかなり強いことを知る。
そこに乗る日本文学的な歌詞と洋楽っぽいフレーズという相性が最高で、その和洋折衷感は椎名林檎から影響を受けた後の俺には気持ちいくらい刺さっていた。
演奏もそんな難しいことなんてしていないのだが印象に残るフレーズが多く、裏拍が表に聞こえるトリック(※ガラスの墓標)や、先の車輪の下のような半小節、LOVEHATE期に良く鳴っていたサンプラー、他にも上げたらキリがないのだが、そういうシンプルなのにベタ過ぎずインパクトを残すバランス感は今でも凄いと思う。

それから暫くして俺は楽器を始めた。楽器屋には後輩のケンちゃん(※3)と行った。

(※3 THE BACK HORNのライブに一緒に行った彼である。)

ケンちゃんはギターで、俺はベース。
この時、俺はちゃんとお年玉を握りしめて向かったのだが、ケンちゃんにはギターを買う付き添いということで付いてきた。
「ついでに俺も買っちゃおw」みたいなノリで買っていたが、最初から俺も買う気満々。バレバレである。
余談だがこの時の俺はミッシェルガンエレファントにお熱で、ウエノコウジになりたくてベースを始めたのだが、楽器屋においてあるベースの姿を見て、最初は見た目大事だよな!と思い、当時の亀田師匠と同じタイプの白に赤べっ甲のピックガードのジャズベースを買った。

しかし買ったからには、練習をしなければならない。
買った時のセットで教本が付いてくるが、俺は高校の三年間、ちゃんと勉強なんてしていないし、ましてや勉強する気概がない。
音楽はもっと本能的なものだと知ったようなことを考え、知ってる曲を早速練習しようと思った。

ELLEGARDENは簡単だよとクラスメイト唯一のバンドマン、中村君から聞いていたが、どうにも気乗りせず俺はART-SCHOOLを弾こうと思った。
理由は単純に簡単そうだったからである。ネットで簡単なtab譜を拾って弾いてみたりしたりしたがだがどうも音が違う気がする。
なんかここは…といった具合でベースを初めて一週間かそこらの俺は耳コピを始めた。ここで耳コピして楽器を弾けるようになったのは後に凄く活きる。

何よりアートの曲は知らない人が聴いたら何が違うの?くらい似てる楽曲も存在するので、一曲コピーしたら似た音の曲も「あれ、これってこの音じゃね!?」といったように続けて違う曲のコピーを始めたりできる。
おかげで同じフレーズでも違うメロディが載せられるという発想を早々に築きあげることができたり、経験値的にはかなり音楽的素養をここで高められた気がする。後にDTMを始めた際もドラムもそこまで複雑じゃないし、バッキングはパワーコード、リードは単音だから何となく形にできる。何となく形にできるというのはそれだけでも楽しいし、オリジナルを作るときに基盤を作りやすくなった。

音楽に救われたという話とは違うが音楽で俺の人生が大きく変わるきっかけになったことは違いないアーティストの一つである。

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