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俺とハヌマーン

ある時期からCDレンタルが旧作は10枚で1000円とかになった。
既に社会人になっていた俺は、月の楽しみにCD10枚をレンタルし通勤時に聴くようになっていた。
この頃になると前情報とあとはジャケットや自身の感覚で借りることが多かった。
そんなわけで俺はパソコンに無数の楽曲をインポートし、それを聴く分だけCDデータに焼いていたのだけど、次第にiPod代わりに使っていたiPhoneにインポートするように変わっていった。

ハヌマーンはその時出会っていたのだが、初めて聴いた時にバシッと「好き」になったバンドでは無かった。

理由はどうだったか、今はもう定かではないが、おそらくこの、彼のちょっと粘っこい歌い方が苦手だった。

時は2011年。俺はあの日、ハルと遊ぶために東京にいた。
前日に彼の家に泊めてもらい、次の日は学校で補習を受けなければならないとのことだったので、俺はちょうど時間を潰すためにゲームセンターにいた。

ゲームセンターで当時ハマっていた音ゲーをやっていると、ゲームの途中で筐体の電源が落ちた。
ん?と思っていると、筐体が再起動している。「ああ、エラーか…」と思っていると、あたりが騒々しくなる。

店員が「外に出てください!避難お願いします!」みたいなことを叫んでいるのをイヤホン越しに聴き、俺は、いやその周囲にいた人たち全てが外に出ることになった。

暫くすると揺れは収まった。と思ったら、余震はまだ続いているようで、どこかでガラスが落ちるような音がした。
何だか大きい地震だったな。なんてその時はのんびり考えていた。

それから徐々に悪化する状況を認識するのに時間は掛からなかった。
流れるニュース。電話は繋がらない。電車も動かない。
どれくらい時が経ったのだろうか。東京は知らない土地だ。被害状況もわからない。

ハルから連絡が来た。学校が「危険だから外に出るな」って言われている。
俺も時間を潰すことも含め、漫画喫茶に入ることにした。
携帯の電源もここなら充電もできることだし。
この判断をする人は多く、俺が入った後くらいからかなり満喫が混雑していたように思う。

それから何やかんやで、家族やハルと連絡を取り合い、今日は帰宅せず、仕事も次の日は休むことに。
なんだかこんなことになるなんて、不安も含め、夜はとりあえず眠った。

次の日の昼頃には電車はすでに平常運転だった。
頃合いを見て帰りの電車に乗る。

全曲シャッフルでたまたま流れてきたそいつは、夕暮れの車窓と俺の緊張を解すように涙を誘った。

景色と音と感覚は強く残るもので、その時は何だか頭の奥の方をズドンと撃ち抜かれたようだった。

俺は慌てて、この歌はいったい誰なのか調べた。そして既にアルバム2枚分の音源を持っていた為、改めて聴くことにした。
しかし、その直後に無期限活動休止に入った。

諸行は無常である。

彼らのリリース上、ラストのアルバムを聴く頃にようやく全ての曲が好きになった。
やはり最初に苦手意識があった部分は少しだけ入り込むまで時間がかかったように思う。

なので彼らを代表する「猿の学生」「Fever Belieber Feedback」といった捻くれた要素の強い楽曲より、「トラベルプランナー」「ワンナイトアルカホリック」系の爽やかさが残る楽曲の方が好きで、それは未だに変わらない事だが。

ただ、正直歌詞に関して言うと、このバンドの醍醐味であるはずなのだけど、好きになった当初はあまり強く意識していなかった。
とにかくこれから…特にひどくなっていくが、精神的にやられていたこともあるのだろけど
歌詞の全体文よりもニュアンスで捉えていた。
とはいえ、
「死にたくなったら歌えよ」
「心で歌うな喉で歌え」
他にも上げたらキリがないのだけど、こういったパンチが強い部分だけ残って、他をうまくぼやかしていた。
それ自体は俺の方に問題がある気もするが、でもそのおかげで、このバンドの歌詞を後に深く知ろうとするとき更に好きになることになった。

音楽的な影響は10代の方が色濃かった為あまり受けなかったけれど、限りなく、20代前半に深く刺してきた音楽である事は間違いない。

(と、書いてて思ったのだけど、実はこの帰りの電車ではないかもしれない可能性がある。俺は音楽を聴いていたのは確かだ。その頃月1くらいで東京に遊びに行っていたので、もっと早ければ2月なんだけど、ハヌマーンの活休が3月下旬だったこと、そして好きになって直後くらいに活休を見た記憶からこうしている。既に活休していた線…無くはないけど、だとしたら好きになった時に活休していた!という記憶がある筈なので…多分…。)

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