昔の話

中学時代。
特段激しく苛められていたわけではないけど、確実にクラスで浮いていた。
孤立しやすいタイプの人間だった。少なからず友人は居たが。

ただ私は何故か、そういった友人に対しても全幅の信頼はおいていなかったし、ましてや、「こんな奴らと仲良いなんてちょっと恥ずかしい」みたいな気持ちもあった。
この気持ちは最低だと思うけど、そんなスタンスがどこかしらあった。
何でこんなに捻じれていたのか今となっては分からない部分も多い。

家族仲も非常に悪いと言ったこともなかったが、同様に何故か少しだけ距離を感じていた。
それは単に父に対しての話で、簡潔に言うなら血の繋がりがない故に感じた、「こいつとは分かり合えない」と言った感覚かもしれない。

そんな私の精神的支柱は、インターネット、漫画に出てくるクールで孤立したカッコいいイケメンキャラ(NARUTOのサスケとか)の精神性だったように思う。

まあ、そういうクラスメイトに対する信頼度や、大人に対する嫌悪や、今となっては「よくある中二病、または反抗期だった」で片付けられる気がするけど、きっかけはこの辺というのはあった。

***

理不尽というのは生きていれば誰でも降りかかると思うのだけど、その日は中学にパソコンの授業があった。
なんだか仕事が出来る風の、カタカタと早い音のタイピング風にキーボードを隣の子が叩いていたのを見て「いいじゃんかっけえ!」と、私も真似をして二人で笑っていた。
カタカタカタ…と私がキーボードを叩いていると「おい…!!」と、突然の怒号。
一瞬思考が停止して、声の方を向く。
熊みたいな体系の先生が俺を見ていた。

「お前何遊んでんだよ」
「俺の授業はそんなにつまらないか?あ?」
何て言われたかは全く覚えていないが、私は胸倉を掴まれて壁際に追いやられていた。

当時の気持ちは「いや、俺発端じゃないし、ていうか隣のヤツもやってたんだけど…?」「なんで…俺だけ?」でいっぱいだったが、その剣幕に何も言い返せず、泣いてしまった。

そうそう、この頃の私は小学生のころから泣き虫だと揶揄されていて、それを恥ずかしいと思ったことや、そんなことで注目される恥ずかしさ、確かに私もそれをやっていたのだけど、一人だけ吊るし上げて怒られる理不尽さにすべてがイヤになった。

その後、隣の子から「ドンマイ」と言われた気もするが、何だかあっけらかんとして、自分は何もしてませんみたいなツラで居たのが悔しくて、ちょっと許せなかった。

こう、書きだすと「そう、大したことじゃないじゃん」とか「あるよこんくらい」みたいなことを大人になった今は言いたくなるのだけど、少年の私はとにかく傷付いたし、何だか大人の言うこと全てに反発したくなったのもこの辺りからだったと思う。
ただの反抗期ではある。まあそう。

こういう一件があったからではないのだが、クラスでの扱いも徐々に変わっていく。

元来明るいタイプでもなく、運動も出来ない。
スポーツマンが持て囃される義務教育の中で、私のカーストはどんどん下方修正されていった。

小学生の頃から絵を描いていた。その当時こそそれなりに持て囃されたりもしたのだが、徐々にそういう行為は「子供みたい」「オタク」「キモい」といった扱いになった。
特に私は自動車が好きだったので、そういう絵を描いていると「いつまで車好きなん?子供っぽい!キモ!」みたいなことを言われる。
心の中で「お前ら、車乗れるようになるんは18からやないか!アホ!しばくぞ!」と思っていたし、だいたい「子供っぽいモノという認識でいるお前らの方が頭ガキちゃうん?」みたいなことを呟いては、拳を握りしめていた。
その反面車ばかりなのも上達しないと思い人間を描くようになったという、ある種でプラスの方向に持っていく事が出来たのは、それなりに自分の心がたくましかったのだろうか。とはいえ時間の前後があるのでこの辺りは何とも言えない。

とにかく、そうやって緩やかに浮いていき、次第に唯一のステータスであった学力も難易度が上がる毎にそんなに出来ないやつになってしまった。小学生の頃に勉強しないでも出来るヤツで居る慢心が招いた結果である。

こういう側面だけ書くと周りがもっと優しければなんて思うかもしれないが、要因は殆ど自分の所為ではあると思う。
何かしらを発表する場が苦手過ぎて顔真っ赤にしながら「エト…」みたいなちいかわ状態だったし、自分の意思表示なんて殆どできなかった。勉強もやはり頑張らなかった。
運動が出来ないから、やる気も出せずへちゃむくれていた。この時代の社会で言えば、俺は確実に調和を乱す者だった。
でも、そんな少年の心のあり様は、自己肯定感を破壊するのに十分だった。

***

俺はインターネットに救われた、なんて簡単に言いたくないが間違いなくこの時これが無かったら、もっと荒んでいた自信がある。
うまくいかない事なんて人それぞれあるのだろうけど、自己肯定できないまま、漫画やゲームにだけのめり込む状態だったら確実に引きこもりになっていたくらいには、自分の中にある溜まったエネルギーがあった。
その唯一の発散先がインターネットだった。

おそらく反抗期特有のエネルギーかもしれないが「自分の気持ちを吐露できない」という内側で爆発寸前の状態を解くのに自由というのはいい薬だった。

笑える動画、創作におけるクリエイティブな活動。ゲームでは何かの一員になる感覚。
このエネルギーがネット上でも攻撃に回らなくてよかったと思う。
それはひとえに、ネットで出来た友人たちのおかげでもあると思うけど。

そう、この時代にも荒らし、誹謗中傷はあった。というかこんなのインターネットの常だと思う。
私も個人サイトを作ったし、荒らしを見てきたし、荒らされたりもしたことがある。
既にネットマナーもあった。この辺を作るのは学校教育におけるルール決めのように、管理人が「この板ではこのようなルールです。」といった独自のモノから既にネットで形成された「人としてこれはダメだよ」と言った大枠もあるのに、荒らしと言うのは平然とやってくる。

この当時活発だった、ファンサイト交流は意外と同世代が多くて、掲示板からチャットでの会話などを嗜んでいた。
もちろん最初は好きなキャラについて語るのだが、次第に自分の学校の話、自分の話…恋の話。
つまるところ教室と同じで、自然と仲良くなればそういう話になる。

ただ匿名で書き込めるのは、かなり分厚い盾だった。
次第に絶対にクラスで一目置かれているはずないのに、そういった嘘をつくような人間もいた。
本当に嘘かどうかはわからないが、自分と同じ場所にいる人間がそんな上位種ではないことくらい、中学生でも見当がつくのは自明だろう。

そんなこんなで荒らしていたのが、ちょっと前にチャットで話した友人だったりすることもあった。
クラス裁判のように何で?と問い詰めると、「ちやほやされているのがムカついたから。」

目の前にわかりやすく、でも全然筋の通ってない、一方的な言葉の暴力はこの時からめちゃくちゃダサく見えた。
ダサいと言うより、少しだけ悲しい気持ちもあった。多分もう友達にはなれない。
これは教室でも同じだ、変なヤツとつるむと、自分まで非難を浴びてしまう気がしたから。

「それに弱い犬ほどよく吠えるって言う品w」
誰かが言ったんだけど、俺はこの時、本当に弱い奴はこうするしかないんだ、俺はそんなものになりたくないなと強く思った。

それからそれなりに交流もあったのだけど、長く続いたのはどちらかと言えば自分より年が上の界隈だった。
それは主にネトゲになるのだけど、当時ネトゲにハマる人間なんて本当にコアだと思うし、私はそれなりにガキだったのでまあまあ可愛がられた。
それに、先の匿名の壁があったことからか何となくだけどこの頃から別の人格を演じ始めた。

とはいえ、別人格と言えるほどの格式の高いものではなく、単にそれは性別不詳…いや、女性を演じてこそいたが、中身は殆ど自分のままだった。

後にこれはネカマという事を知るのだけど、クラスで日の当たらない私が別人格を演じる事で、その痛みから逃れようとしていたのではないかな、と思う。
ちなみに決して恋愛に持ち込むことはなかったので、被害者の会はない。多分。

こういう人格を作ることで、ネットでの活動はより盛んになった。
パソコンで絵を描けるようになり、ネット上ではいつの間にかBLを嗜む淑女のようになった。
なれていたかはわからないが、元より私は人柄の柔らかい側面があったのだろうし、それが如実に出た上、それを鍛え上げたような感じだ。

そんなこんなで教室は常に暗黒だったけれど、家に帰ればこれがあるから、と心を何とか保っていた。

先にあるが「人の悪口は言っちゃダメ、いじめはダメ、非難囂々…」
そんな当たり前はどちらかと言えばネットからのほうがよく学んだ。

当時の2chには半年ROMれという格言がある通り、私は未だにROMしかしたことがないのだけど、スレッドの書き込みを眺めるのが好きで、攻撃するやつには攻撃が降りかかるし、何も言い返せなくなったら「顔真っ赤wwww」なんて書かれる。
こんな恥ずかしい体験を、先のファンサイト含め、掲示板でするのはあまりにも愚かしいことだと強く思った半面、誹謗中傷には単に、クラスで居場所のない私みたいなやつのもう一つの姿の様に思えて、何だか居た堪れない気持ちもわずかにあった。

***

こういう風に居場所をインターネットに求めた私は、スクールカースト最下部のわずかな友人などの現実の居場所よりもそちらを優先していた。
それはそれで現実を大事にしろよ!と今なら言えるのだろうか。言えないな。
身近な友人は確かに大事にした方が良かったのだろうけど、私は多分、もっと力が欲しかった。

一応部活は入っていた。科学部。
いかにもオタクっぽいが、オタクしか入らないので学校で唯一の平和な時間だった。
科学部と言う名だが実質はロボコン部であり、ロボットを作成していた。

地味に県大会があって、それに出場するのだけど…如何せん、私は学力が低い。
こういった文章を書くように、理系と言うよりどちらかと言えば文系なのであろう。
知らんけど。端的に言えばそれを作る才能はなかった。でも作ることは好きだった。
モノづくりが好きなのはこの頃に確立された気持ちだろう。
後に出てくるのだが、この時の友人がしっかり凄いモノを作っているのを見た時、純粋に凄いと言った思いと共に悔しい気持ちの方が大きかった気がする。

そういう反面なのか、私は他に「何かを成せる人間」に憧れていたのか、ネトゲ・イラストなどの創作活動……これの所為で完全に夜更かし IN MY BED状態だった。

そんなある日、深夜バレへんようにと静かにパソコンを起動していると、足音が聞こえてくる。
「父親だ!まずい!」と思いパソコンの画面を閉じる。
しかし所在を隠すわけでもなく息を潜めただけの私はあっさり夜更かしがばれてグーで殴られる。
昭和っぽいエピソードだが、平成である。
しかもパソコンが蹴っ飛ばされた。父親激おこぷんぷん丸。
ちなみに後にも先にも殴られたのはこの時の一回きりである。

ただ、これは私にとって唯一絶対無二の不可侵領域なのだ。
それに踏み込まれて、さらに壊されるなんて許せなかった。
パソコンは幸い壊れていなかったのだけど、いや、微妙に壊れた。
なんかカラカラと音がするようになったと思う。

反抗期の絶頂期、私は怒りと悲しみと涙で濡れた部屋着のまま、何とも言えない気持ちで包丁を握りしめた。

殺してやりたいと思った。

しかし、握りしめた包丁の冷たさなのか、冬の空気が近かったせいなのか、ほんの数秒で、やや冷静さを取り戻す。

私は「完璧主義者だ!」と心の中にどこか自尊めいた気持ちがあった。
勉強もろくにしないくせに、自分は馬鹿ではないと言う何とも小さいプライドが理性を取り戻した。
こんな衝動に任せて、私が悪者になるのは嫌だ。

だから包丁は私の、お前へのメッセージだ。と居間のテーブルに突き立てて「迷惑をかけてやる」と言わんばかりの気持ちで家を出た。

***

ド深夜の森の中。何か動物が出るんじゃないかとひやひやした。
でもそれが出たならそれで「もういいや」という気持ちもあった。
私の家は、本当にひどく山の中だったので、ひたすら山道を歩いた。

気が付いたら私は通学路を歩いていた。衝動に任せて飛び出したはいいものの、行く宛なんてなかった。
次第に何してんだという気持ちが高まってきた。学生とは言え、秋空は冬に近い北風が吹いていたこの道は肌寒さと急坂で体力を奪っていた。
何でこの道を歩いていたのかわからなかった。
ただ、この知っている道というだけで、不気味な神社の通りも、人のいない冷めた夜の風も、月光や星の光もその時だけは優しかった。

時折通る車の光に少し怯えたが、別に誰も停まって心配してくれたりはなかった。
上下スウェット姿の中学生はある種おっさんめいて見えたのだろうか。

涙で腫らした目が乾いてきた頃、その道の終着点だった学校傍について、一つ思いついた。
この辺りには同じ部活の仲間で、数少ない友人の家があることを思った。
校舎付近には二人ほどいたが、ある理由で片方の友人の家へ歩いた。

その友人は、同じくパソコンでインターネットに触れていた同志であり、ロボットを私より精密に組み上げた同じ部活の仲間。夜、仕事で親がいない時があるというのは何となく聞いていて、時は1時を回る頃だったろうか、きっと起きているに違いないと思い家に向かった。

カーテンから光が漏れているのを確認し窓を叩いた。

「え?どうしたん?」
「…家出…」
私の顔を見て何か、察したのか「……まあ上がりなよ」と家に上げてもらった。
一息つくと、ココアかなんか淹れてくれた。温かさが五臓六腑に染み渡る。

特段どういった経緯かの話を聞くでもなく、普段通りの会話をしていた。
多分それなりに心配はしてくれたのだろうけど、私の様子を察して普段通りで居てくれたのだろう。
それかまあ、気にしていないかである。基本的に感情があまり前に出ないタイプの友人なので、本当のところは知らない。

30分か1時間か、話題も尽きる頃に「この後、どうするん?」と聴いてきた。

「わからない…」
「…悪いんだけど、泊めるとかはうちちょっと無理だからさ。それにもうすぐ、母ちゃん帰ってくると思うし」
「わかってる、ありがとう、それは全然大丈夫」
「…まあ、気が済んだら学校には来いよ、内申にも影響するだろうから」
「そんな気の長い話じゃないから、ほんと、大丈夫」

こうして人と話せた安心感なのか、体力は幾分か回復して、私は何としてもこの家出はやり遂げようと思った。

選択肢は二つ。この後家に帰る。
でも、まだ父親を許せていない。大体、それで帰ったらなんか負けた気がして帰れない。
もう一つは。
「そうだ…婆ちゃんちがあるから、そっちに行く」
「平気なん?」
「ま、何とかなるっしょ」
そう言って立ち上がり、家を出る事にした。
「じゃあありがと。おやすみ。」
「おやすみ。気を付けて。」

家を出たら、また肌寒い秋冬の空気に痺れる。

ここから婆ちゃんちまで、どれくらいかかるんだろう。
私はひたすら歩くことにした。

この突き動かすエネルギーは疲れを忘れさせた。
それよりも心配は警察に見つかって補導されないだろうか。
目的が達成できないことの方が不安だった。

それから暗い夜道の信号は活躍もせず、たまに通る大型トラックの音とわびしい街明かりを抜け、再び山道を登っていく。
実家のそれよりかは舗装された綺麗な峠道は、車好きの少年は脳内で走らせるのに飽きさせない夜伽だった。
上、下降を繰り返す道を抜けてたどり着いた暗闇の中の婆ちゃんの家はきらきらとゴールの様に輝いて見えた。

ひやひやしつつも午前3時か、そんな時間になる頃に婆ちゃんちに着いた。
「ピンポーン」
しん…。
玄関のチャイムを鳴らしたが、当然起きている筈もない。

まあそうだよな。最悪物置で休もう、と佇んでいると玄関のドアが開いて、婆ちゃんが「どひゃー!」と言ったリアクションで出迎えた。
「どうしたの?!こんな夜中に?!」
「なんか…家出?」
恥ずかしくてそれ以上は答えたくなかった。
当然家に上げてもらって、たくさんの質問が飛んでくる。
何があったとか、寒くなかったかとか。
最後に「明日ママに連絡するけどいいかい?」に対して「…うん」とだけ答えた。

後に婆ちゃんに心臓止まるかと思ったよ!と笑ってその日のエピソードを話したが、私は恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいだった。

***

それがあってから親は随分優しくなった。
厳しく言いつけたりは殆ど無くなったように思う。
家出のおかげかはわからないけれど、心の捻じれは少しだけ収まった。

この時、少しだけすっきりとした達成感があった。
本当はただ話し合えばいいことだったかもしれない。でもそれが簡単じゃなかったから、実行出来た自分を認められるとか、そういう気持ちは少しばかりあったように感じる。

なぜこんなに行き場のない気持ちを、たくさん抱えていたんだろうか。
自分が悪いと思う部分もたくさんあった。むしろその方が自分を苛立たせていたように思う。
何で出来ないのか、普通にしたらいいのに、そう在りたくない気持ちが枷のように感じた時もあった。
正直色々と要因はあるのだろうけど、人間の感情の正体なんてひとことでまとめられないし、一言「反抗期だったんだよ」「中二病だったんだよ」で済ませてしまうほうが楽なのは確かなのだけど。

とかく何かを成すことに成功(?)したこと、インターネットに於ける自分のもう一つの人格における居場所形成からか、割とそのままで良いという開き直り、音楽との出会いによってまたやや痛くなる。

故に高校に行ってからも、中学同様浮いてはいたし、それなりにいじられもした。
いじられにはムカついていたし、人によってはいじめと認識するかもしれない。
むしろ現在だったらいじめである。だが自分自身それを認めないでいたのも反抗心があったからである。
基本的に馬鹿にしてくる人間全て下に見ていたので、それに屈するのは負けだと自分で思っていたのだ。
たくましいと言えばたくましいのだけど、単に強がりだし、他の人が知らないグロ系も知っていたので「人間なんて刺せば壊せる」みたいな気持ちもちょっとあった。
今見ると高校生でこれは大分ヤバいと思うが、頭の中で殺すのは学生あるあるじゃないか?なんて勝手に思ったりしている。自己肯定感は大事。

しかしそんな思いをしていながらも、自分も同じような事を他人にしてしまったことがある。
私も他人を傷つけるような言動をした。一度や二度ではない。
する側になって、ちゃんと喧嘩になったからまだよかったんだろうな。
一方的じゃなくて、殴り合ってたみたいな感じだったので…。
ただ、こういう側面って割と誰でも持っていて、傷つけるつもりはなかった、と言うのもまんざら嘘でもない気もするし、馬鹿にして笑われる経験があるから他人に優しくなんて、到底出来ないなとも思った。
そんな簡単じゃないよ。だいたい何で被害者が加害者に優しくするんだとも思ったし。
逆にこういう被害者意識も良くないなと思ったところはある。
原因は少なくとも自分にもあった。自分の場合の話。ここはもっと詳しく書いたほうがいいだろうか。

汚い文章なので一旦ここで終わりにしようと思うけれど、これを多数の人間に読んでもらうには些か恥ずかしい気持ちが勝っている…。

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