【創作大賞 お仕事小説部門】 コンプラ破壊女王 ④
4話 『ミケランジェロのモチーフ』
ファミレスのビッグボーイの看板をみかけると、いつもこの取引先の本部長の事を思い出してしまう。
好奇心旺盛な少年のような目つきと、テカテカした肌ツヤ、そして何よりクルンと遊んでいる前髪。
「よく来たな! 永谷千川君、ぐわははは」
にっこりと笑いながら会議室に入ってきた。
ステーキやハンバーガーなどを高々と掲げながら入ってきてくれたら完璧なのに、いつも手ぶら。
今日の出で立ちは、太い縦縞の線が入ったダブルのスーツをダブダブに着ていた。
毒々しいまでに派手な花模様が描かれているワイシャツのボタンを、上から3段くらいまで締めずに襟を立て、首周りには銀のネックレスが犬の首輪みたいにジャラっと巻いている。
「おっ! 今日はずいぶんと美人な女の子を連れてきちゃっているねぇ、ぐわはは」
そう豪快に笑いながらカウボーイハットを脱ぎ、会議室のテーブルの上に置いた。
おっと忘れていた、もちろんズボンはパンタロンさ。
いまどき、エルヴィス・プレスリーはないですよ、本部長!
と、誰も指摘してくれないんだろうな、会長の息子さんだったりすると。
なんでいつもこの会議室なんだ――。
50人くらい収容できる会議室の真ん中にポツンとテーブルがふたつ並べられている。
4人ぐらいでカラオケに行ったらパーティールームに通された感じの落ち着きのなさに似ている。
本部長の両端には、背が高いが体重が50キロ半ばくらいの棒っきれみたいな人が座っていて、片方はメガネをかけてパソコンをパチパチと打っており、もう一人は田中さんの方をうっとりと見ていた。
「今、材料費が高騰してるし、人件費もさぁ…千川君もわかるよねぇ」
さっきから何度も同じ話をしている。
地声が低く、それでいて大きい音量なのでオーケストラのホルンみたいによく響く。
来月から仕入れ値を下げて欲しい、という要望を、なんだかんだと1時間くらい同じ話を繰り返している。
元の仕入れ値で充分に利益が出ている事は知っているのだが、おそらく、その差額を本部長のポッケに入れているらしい。
僕がこの会社の担当になる前の営業の人に教えてもらった。
そんなみえみえの個人の私利私欲のために、ずっと話を聞かされている。
本部長の後ろの景色がうっとうしい――。
円柱の筒の水槽が横一列にズラーっと15本くらい並び、その中で気泡がポコポコと浮き沈みして揺れている。
それが紫になったり黄色になったりして、気になって話に集中できない。
パールエアレーションというインテリアらしい。
前に来た時に、気になってググって調べた。
わざわざこれを見せびらかしたくて、これの前に座ってやっているんだろうな、うっとうしい。
あぁ、眠い…。
なんかドラクエのラスボスみたいだな。
真ん中にドーンと濃いキャラが腰を据え、その両サイドに側小姓みたいに弱々しいキャラがつき、後ろの景色のチロチロと動き、色が変わっている。
黙って話を聞いていたら頭が勝手にどうやってこの人たちを倒そうかと、シュミレーションをしていた。
まず両端を倒して自分たちの防御をあげ、相手の呪文を封じ…ふぅ帰りてぇ。
そうぼんやりと考えていた。
そんな頃だった。
「はい!」
唐突に田中さんが手を挙げた。
「わたくしに提案がございます」
しゃべっていた途中の本部長さんが「どうぞ」とやや機嫌を悪そうに田中さんに指をさす。
僕は眠たかったので、「休憩でもとりませんか?」とでも言い出すのかと思った。
「相撲をとりませんか?」
す…もう…。
取引先の人たちの目が点になっている。
入ってきた情報をうまく処理できずにフリーズしている。
会議の途中で相撲をとりませんか? と、突拍子もない言葉が美人の口から出てきた。
向かいの人たちの思考が止まっている。
一旦、電源を落として再起動をしないと、会話をしてくれない様な雰囲気だった。
しまったぁ! 油断していた!
眠たかったから、エキセントリック楓さんの存在を忘れていた。
今日は相撲かぁ……。
またイタズラに僕をおもちゃにする気だな、そうはさせるか!
「いえ…なんでもありま…」
「相撲です。相撲で仕入れ値を決めませんか?」
一歩遅かった。
僕の静止より先に田中さんが言ってしまった。
お茶を飲もうと湯飲みを傾けたままフリーズしていた本部長が、ダンとテーブルに湯呑を置いた。
「なんで俺が千川君と相撲を取らなきゃならないんだ!」
と僕を指さした。
「いいえ違います、私とです。私と相撲を取りませんか?」
「はい?」
さっきまでの野太い声ではなく、可愛らしい裏返った声が返ってきた。
田中さんはうんうんとうなずいている。
本部長とその両サイドの部下もびっくりして、まだフリーズしている。
やばいなこの雰囲気。
また今日も田中楓ワールドへ引きずり込まれそうになっている。
地球の自転を逆回転させて、西から東へと朝日を昇らせ、亜空間フィールドに連れてかれて、そしてお花畑でピーヒャララ…。
なんとか僕の力で元の世界に戻さないと。
「弊社の部下が今、申し上げまし…」
「よっしゃ! わかった! 相撲をとろ、なっ! 相撲を!」
本部長は椅子を引いて立ち上がった。
ダブルのスーツを脱ぎ、それをヒーローの変身みたいに天井高く舞い上げた。
それがユラユラと落ちてきて、床に落ちる前に横にいた部下がキャッチした。
「ほらっ机どかせ、やるぞっ、ほれっ」
部下たちにテーブルと椅子を会議室の端っこに移動させるように指示をだし、腕をぐるぐると回しだした。
田中さんもスーツの上着を脱いで椅子にかけて、パンプスを脱ぎ始めた。
「おぅ、そうだな、相撲を取るんだから、靴を脱がねぇとな」
本部長は椅子に座って靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ始めた。
あれだけオシャレに気を使っている本部長なのに、靴下は普通の白だった。
「あ…あのぅ…」
いつもの戯言(ざれごと)とは違って、今回は多大な損失が出る可能性があり、冗談ですよね、シャレですよね、と言おうとして、僕は本部長のそばに寄った。
「そっちが相撲で決着をつけるって言ったんだからな!」
僕の顔のそばに人差し指を何度も押し付け、逆に念を押されてしまった。
もぅ僕ごときでは止められない話になってきた。
「この柱の…」会議室の柱をペシっと叩き、「床の色が違っている内側が、土俵って事で良いですか?」と絨毯(じゅうたん)の色が変わっている部分を田中さんは指さした。
「反対側はこちらの柱で宜しいですか?」
本部長の部下の一人が柱を指さし、「おぅ、そうしようぜ」と本部長が答えた。
「横はどうします?」部下が言うと、「壁に触れたらアウトで宜しいですか?」と田中さんが言ったら「おぅそうしようぜ」と本部長が答えた。
これで、通常より一回り大きい長方形の土俵が、会議室の真ん中に出来上がってしまった。
その土俵の真ん中に本部長が立って股を広げ、膝に手を置き、片足を上げた。
太り気味な体格なので、四股が良く似合う。
そこへ向かおうとしている田中さんの腕を僕は掴んだ。
「パール……パールエアレーションの方には行かないでね」
土俵からは離れてはいるが、勢い余ってあそこに突っ込んだら一大事だ。
「なんですか? パールエア…なんとかって」
「あの円柱の筒の、空気がポコポコしてるやつだよ」
「えっあれ、そんな名前なんですか! 係長、物知りですね」
そう言いながら、土俵の中へと入り、本部長の前に立った。
他にかける言葉があったのかも。
怪我しないように、とか。
もう何に対して注意を払ってほしいのか、よく分からなくなっていた。
身長差は二人ともさほど変わらない。けど体重は倍ぐらい離れている。
特に腰周りと、腕の太さは違う生き物のようだった。
田中さんは髪ひもを口にくわえ、後ろ髪をまとめ始めた。
本部長は首周りをぐるぐると回している。
紫と赤の花びらの真ん中に、ドス黒いおしべが描かれている本部長のワイシャツの背中。
あの生地に触っただけで、被れ(かぶ)てしまいそうなほどの毒々しいワイシャツの柄。
二人を見ていると、まるで、食虫花のそばをヒラヒラと飛んでいるモンシロチョウのようだった。
どちらともなく準備運動を止め、真っ直ぐに対峙し、見つめ合った。
なぜだが急にエアコンの風が強風になり、田中さんと本部長の例の前髪が揺れた。
西部劇の決闘のシーンみたいな緊張感が漂い始めた。
誰かが丸めたコピー用紙が、二人の間を回転草のように転がっていく。
「審判…じゃない、行司を頼んでも宜しいですか?」
田中さんは、メガネをかけている本部長の部下の一人に頼んだ。
「えっ…僕ですか?」
たじろんでいる部下に対し、「早くせんか!」と本部長が怒鳴ってきたので、恐る恐る二人の真ん中に立った。
「えーっと」
手の平をパーにして前に突き出してきた。
軍配のつもりなのであろう。
「えーっと……あっ!」
軍配のパーを止め、スーツのポケットに手を突っ込み、スマホを取り出した。
そしてタップをし、8の字に揺らしている。
何をしているのだろう。
しばらくスマホを見て、何か分かったらしく、ポケットにしまった。
「にぃーしぃー、本部長、西ぃー、本部長ぉうう」
あぁ……方角を調べていたんだね、そんな事どうでもいいじゃない。
「すいません、お名前、何でしたっけ?」
「田中です」
「ひぃがあぁしぃぃ、田中さぁぁん」
あぁんの所の声が裏返っている。
彼も相当に動揺をしているのだろうな。
田中さんはテーブルの上にあったテッシュを一枚ピッと抜き、床に向かって放り投げた。
そのテッシュがユラユラと落ちていく。
向こうの三人にはこの行動に不可解な表情を浮かべていいたが、僕にはすぐに分かった。
塩の変わりなんだろ。
一か月の同行でなんとなく、掴んできたよこの人の行動が…。
やるときには徹底的なんだろうな。
田中さんは両手でほっぺたをピシャピシャと結構に強めに叩き、その後、肩を激しく上げ下げし、また、自分の顔を何度もビンタした。
こんな感じのパフォーマンスをしながら土俵入りをする力士が前にいたな。
最後に一発、片手で力いっぱい自分の頬をビターンと打った。
その強さと音の凄さがあまりに激しかったので、気合を入れるためというより、一人SMをしている人みたいだった。
田中さんが一礼すると、しゃがもうとした本部長も慌てて立ち直し、一礼した。
そして二人はしゃがんだ。
田中さんはパンツスーツで四股(しこ)をふんだ。
股をぐわっと広げ、細くて長い脚が天井に向かってピーンとはった。
本来なら女性がやったら、はしたないポーズになるのだろうが、あまりに真剣な表情なので凛々しく見えた。
「はい、それじゃあいきますよ、はっけよぉい」
二人とも同時に腰を上げ、手を床に着けた。
その瞬間、僕は「あっ!」と口に出しそうになった。
この勝負、勝てるかも!
本部長の顔は照れていた。
話の勢いで、相撲で仕入れ値を決める事になってしまったのだが、いざ若い美人と体をぶつけ合う事になったら、照れくさくなっているようだった。
少し及び腰になっている。
その反面、うちの田中さんはガチだ。
短距離走のクラッチスタートのように全身をバネのようにしならせている。
今にも飛びかかろうとしている猛獣のような目つきで、本部長を静かに見ている。
勝てる!
「のこった!」
そう行司が言うやいなや、田中さんはカタパルトに乗ったジェット戦闘機のように早く、そして力強く、本部長の右の脇の下に突っ込んで行った。
本部長は2.3歩後ろに下がった。そして、その勢いのままぐいぐいと押すと、さらに下がった。田中さんの両腕はがっしりと本部長のベルトを掴んでいる。
土俵の境界線まで、あと1歩手前まで押し込んだ。
「えぇ!」
行事の部下が驚きの声をあげた。
たぶん、若い女の子だからキャーとか言ってたじろぐとでも思ったのだろう。
でもうちの田中楓は一味ちがう。
なんの躊躇なくガッツリと組みに行った。
もういいや、応援しよう……、この子に仕入れ値の命運を委ねよう。
だけれども、ロケットスタートの勢いはここまでだった。
本部長は自分の胸に飛び込んできた麗人を受け止めてニンマリとしていたのだが、ここまで押されてしまい、焦って下半身に力を込めたのであろう、一切うしろに下がらなくなった。
漢字の『人』という文字に似ている態勢のまま、二人は動かなくなった。
本部長は田中さんの体のどこを掴んで良いのか分からず、手の置き場に困り、宙に浮いている。
風貌はアレだけど、たぶん良識ある人なんだと思う。
コンコン。
ドアがノックされた。
「失礼します」
品のある落ち着いた声のする女性の声と共に、扉が開いてしまった。
ダメだ! 今、この部屋に入ってくるのはマズイ!
お茶をのせたトレイを持ったまま、「ヒィー」と女性は悲鳴を上げた。
「のこった、のこった……あっ! ちっ…違うんです、これは…」
品のある40代半ばくらいの女性の顔が、みるみるとこわばっていく。
セクシャル、ソーシャル、モラル、パワー……。
いったい私は、どの種類のハラスメントを目撃してしまっているの!
という顔をしている。
本部長はあえてお茶を持ってきた女性の方を見ないようにしていた。
本部長の腰の辺りに若い女の人の顔がすっぽり入っていて、それを男の人が3人黙認している。
人の道から外れた行為を見てしまっている。
ゆっくりと膝をつき、そっとお茶を乗せたトレーを床に置いた。
そして、立ち上がり、「失礼します」と言って軽くお辞儀をし、扉を閉めた。
とんだもない現場を目撃したわりには、随分と落ち着いているなと思ったのだが、しばらくして、
「う…うわぁ……ケダモノぉ!」
という叫び声ともに、廊下をドタドタと駆けだしている音が聞こえた。
あの女の人は、起承転結の『転』だけを見て、どこかに行ってしまった。
「ちがうって」
行司の人はそう呟いたが、違うも何も見たまんまだと思う。
本部長が会議室で若い女性と抱き合っていた――。
それは事実だ。
この問題はそっちで解決してもらおう。
相撲は膠着(こうちゃく)状態が続いていた。
本部長は「ぬぅ」とか「ふぬぅ」と声を出して、田中さんは「はいぃぃ」と言って力を込めているが、ビクともしない。
スーツを着た若い女性と派手なシャツを来ている中年男性が、力いっぱいに抱き合っている。
筋肉のハリといい服のシワのつき方といい、二人の直向き(ひたむ)さが存分に伝わってくる。
こんな稀有な構図をミケランジェロが見たら、今すぐに彫刻を削りだすのかもな。
水入りのような雰囲気になってきた。
スタミナ勝負では分が悪いと思い始めたのか、本部長は観念し、田中さんの背中越しに手を伸ばし、パンツスーツの腰の両端を掴んで、引っ張った。
そしたら、たぶんお尻の形がくっきりしているのであろう、行司をやっていない方の部下が、その目の前のお尻を真剣な眼差しで見ている。
もう何も考えられなくなっているんだろうな。
今、ここで起きている事に対して。
だとしたら、せっかくだから、お尻を良く見ておこう、とでも思っているのだろ。
本部長が腰を落とし、力を込めた。
田中さんの片足が浮いた。
もう1回「ふんっ!」と本部長が力を込めると、今度は両足が浮いた。
3回目をやろうとした時に、そうはさせるかと田中さんは本部長の左足に自分の右足をタコの足のように絡ませた。
そしたら二人のバランスは崩れて反転した。
今度は、田中さんが土俵際に追い込まれてしまった。
田中さんはなんとか劣勢の状況を打開しようと、右手をベルトから離し、下から上へと本部長の顔面めがけてツッパリをした。
バコーンとアゴを叩いた音が会議室に鳴り響いた。
今のは暴力だよ、田中さん。
ツッパリって、結構に暴力だよ田中さん、ビンタと変わらない。
本部長、相当に痛かっただろうな。
田中ささんの右手が本部長の首と銀のネックレスの間に入っている。
その間のスペースに余裕はなく、グイグイと喉元を締め付けている。
あれ……呼吸できていないのかも…。
だんだんと本部長の顔が赤くなってきている。
「のこった、のこった」
律儀に行司の仕事をきちんと行う部下。
止めろよ! 君の上司、死んじゃうかもよ。
良く整えられている田中さんの、中指が本部長の唇の中に、薬指が本部長の鼻の中にぬっぽしと入っている。
人差し指は、この位置から良く見えないが、それも、本部長の体内に入っているのかもしれない。
親指と小指がピーンと伸びて小刻みに揺れているので、ハワイでのアロハの時のポーズで、真っ赤になっている本部長の顔面を押し付けている。
今のこの二人の状態を、どんな漢字を使えば、一文字で表現できるのだろうか。
画数、多そうだな。
さすがのミケランジェロもこれを見て、「こんなもん、俺っち、無理ッスわ」と彫刻刀を置いて家に帰るのかな。
本部長はもうこれ以上長くはできないと、力任せに腰を回転させた。
二人は横に片足でケンケンしている。
また腰を回転させた。
またケンケンする。
それを何回も繰り返しているうちに、二人は社交ダンスを踊っているようになった。
あぁ…あれだ!
さっきからこの二人の動きに既視感を感じていた。
それを思い出した。
熱海の秘宝館で見た、ちょんまげ頭の町人と日本髪の女郎の人が、ほぐれあっているイラストに、今のこの二人の状況は似ているんだ。
そんな事を僕が考えていたら、行司の部下が叫んだ。
「外に出ました! 本部長! 色が違う絨毯を、今、本部長踏んでます! 本部長の負けです、終わりです」
それを聞いた二人は崩れ落ちるように倒れた。
全ての力を出し切ったのか、二人とも倒れたまま体を動かす事ができない。
潜水士が海から這い出た時のように、呼吸がゼーゼーと乱れている。
二人は、肉体と魂をすべて使い切ったのか、まったく動けず、床に仰向けに寝ころんだまま、息を乱していた。
本部長は田中さんにアゴを捉えられていた――。
それが原因で天井しか見ることができず、土俵の位置を確認出来なかった事が敗因なのだろう。
本部長は四つん這いで歩き出した。
何処に行くのかなと思ったら、さっき「ケダモノ」と叫んだ人が置いて行ったお茶の所まで行き、ぜえぜえと乱れている息をいったん止めて、グイっと飲んだ。
行司をやった部下は正直者だな。
自分の会社の不利益になるかもしれないのに、きちんと公平に裁いた。
彼は信頼できる、良く覚えておこう。
「ぜぇぜぇ………わかった…」
お茶が一杯では足りないらしく、二杯目もグイっと飲んだ。
「俺も男だ、約束を守る……せぇぜぇ…そちらの条件をのもう…」
「あ……ありがとぅございます」
寝そべったままの田中さんが、本部長にお礼を言った。
僕は背筋を伸ばし、本部長に向かって
「引き続き、当社とのお取引を…」
と言いかけた所で扉が威勢良くバーンと開いた。
「君たち! いったい何をやって……あっ…本部長…………何を…なさってらっしゃって」
貫禄があり、落ち着いた感じの男性が、さっきケダモノォと叫んだ品のある女性を従えて入ってきた。
「えっ………ぜぇぜぇ…う…うん」
裸足で汗びっしょりで床にもたれ掛かっている本部長は、バツが悪そうな顔をしている。
「相撲です」
行司をやっていない方の部下が答えた。
「……………」でも入ってきた男の人と品のある女性は、は理解できないようで、固まったままだった。
本部長はゆっくりと立ち上がり、田中さんの方に歩み寄った。
寝転んでいた田中さんはゆっくりと体を起こし、正座をした。
「負けたよ……フフフ」
本部長は手を差し伸べた。
その手をガシッと掴んだ、田中さん。
分かり合えない不良同士が川原で殴り合ったあと、みたいな映画のワンシーンのようだ。
本部長が腕をグイッとひっぱり、その力で田中さんは起き上がった。
その瞬間に少しよろめいてしまい、その腰をさりげなく本部長は支えてあげていた。
あのガサツそうな本部長がこんなジェントルマンみたいな一面があるなんて。
お互いに自分の席に戻り、田中さんはパンプスを、本部長は靴下と靴を履き始めた。
「相撲です」
一連の光景を見ていてもまだ理解できず、扉の前で立ちつくしている二人に、行司じゃない方の部下が2回目を言った。
そして瞳から大粒の涙が零れ落ち、頬をつたっている。
行司をしていた彼も、泣いている。
彼らの涙の意味って、いったいなんなんだろう。
勝利者を称えるかのように、パールエアレーションが水色から金色に変わって、光りだした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?