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【創作大賞 お仕事小説部門】  コンプラ破壊女王 ⑤

5話 『今夜のオカズは……』

サイドミラー越しからでも、まだ皆が手を振っているのが見える。
顔色までは分からないが、きっと笑顔なんだろうな。
 うちの会社の条件を全てのんでくれただけに留まず、別れ際まで握手攻めだった。
まぁ、田中さんの手だけだけど。

 「ケダモノ」と叫んでいた女性がバンに乗り込む前に六花亭のバターサンドを箱ごとくれた。
田中さんはひとつ取り出して袋を破り、口の中へ運んだ。

「係長の分はここに置いておきますね」
とモゴモゴと聞き取りづらい声で言いながら、ダッシュボードの上に置いてくれた。
 信号で止まり、袋を破って半分を口で割り、僕も食べた。
ペットボトルのお茶を呑み、残り半分も食べた。
口の中のバターとレーズンをお茶で流し込む。
信号が変わったので、また走り出した。

「なんで?」
少し落ち着いた頃、田中さんに訊ねた。
2袋目を破って口の中へ入れようとしていた田中さんは手を止め、僕の方をみている事が気配で分かった。
「なんでなの?」
答えようとしない田中さんに、二度目を聞いた。
なんで、突然に相撲とか言い出したのか、その理由を問いただしたかった。

今日という、今日は。

「私は右利きなので本部長さんの左脇に入ったのは、そのまま押し出すのが狙いでして…」
「うん…ごめん、違うよ……」
僕は片方の手をハンドルから手を離し、パーにして『ストップ』のポーズをした。

「相撲の取り組みに、俺はダメ出しをしてんじゃなくてさぁ」
僕は頭の髪の毛をかきむしった。
「なんで、相撲なの?」
普通、相撲ではないだろ。
大人の話し合いの解決の仕方は、相撲ではないはずだ。
教室で取っ組み合いをしている元気な小学生に、「相撲で決着つけなさい」と言い出す熱血教師じゃないのだから。
 どんな発想から、相撲をとろう、となるのだろう。
「なんで、突然に、相撲をとろうなんて言い出したんですか!」
田中さんを叱るためもあったのだが、自分への疑問もあってか、少し語気を強めに言ってしまった。
いや、でも今日は、叱るべきだ。

田中さんの訳わかんない行動や、発言を、注意するタイミングが難しかった。
得意先に迷惑をかけたり、損害をかけたのなら、即刻に注意をすべきなのだが、相手を喜ばさせ続けていたので、注意ができなかった。 

 横目でチラッと見たら、バターサンドを持った手で額をゴシゴシとこすりながら考え込んでいる。
「え…えーっと…係長…、さっきの会社に行く前に、相手の本部長はいつも力技(ちからわざ)でくるから、僕も今日は力技でいこうと思っていると、おっしゃっていませんでしたっけ………」

えっ…確かに、言ったよ、俺…。

だけどおかしいだろ、力技→よしっ相撲だ! ってならないだろうよ。

「話が1時間くらい進まなかったので、いっその事、力技勝負とう事で二人に相撲を取ってもらおうと、私が審判…じゃなくて行司をやるつもりだったのですが、話の勢いで私が相撲を取ると言ってしまいまして………やっぱり係長の方が良かったですかねぇ」

純粋に『力技勝負ならば相撲』と思ってしまったのね、田中さん。
そうなると、俺にも責任が合ったって事なのかねぇ…。

田中さんに対して、充分に気を配れなかった俺にも過失があったって事なのか。

俺はペットボトルのお茶を取り出した。
勢いよくキャップを開けすぎてしまい、助手席の足元へ飛んでしまった。
それを田中さんはしゃがんで取ってくれた。

お茶を飲もう、たくさん飲もう。

ゴクゴク飲んで、そしていったん落ち着こう。カテキンを吸収しよう。
カテキンなら、きっと僕を癒してくれるはずだ。
たぶん……、いやきっと僕の横に座っている人は普通じゃないんだ。

何かの何かなんだ。

ジュースホルダーにお茶を置いたら、田中さんはキャップを閉めてくれた。

一週間前もそうだった。
取引先でタバコ休憩をとろうとゆう事になり、会議室から出て行った。
喫煙所で10分ほど取引先の方と雑談をして、会議室に戻ったら、田中さんはホワイトボードに落書きをしていた。
それを、一緒に田中さんと会議室に残っていた、強面の取引先の社長さんが腕組みをしながら怖い顔で見ていた。

あの社長、苦手なんだよ。
目つきと雰囲気が反社会的っぽくてさ。
一度も笑っている所を見たことがない。

その人が睨んでいるのに、『眼鏡をかけたオールバックのフレンチブルドックが設計図に図面を書いている』チープな落書きしてたじゃない。
似ているからだろ、フレンチブルドックと社長の顔が。
俺も、最初、社長の顔を見たときにそう思ったよ。
だけど、描かなくてもいいじゃない。
みんながそれを緊張した面持ちで見守っていたじゃない。

「完成しました」
田中さんが座り、変わって社長が立ち上がり、ホワイトボードの所まで行ってずっと腕組みしたまま睨んでいた。
これは流石に怒られるだろうなと思っていたら、社長さんはボードをバンと叩き、
「ヨシッ! これを当社のイメージキャラクターにする、お前! 写真たくさん撮れ!」
と言って若い社員を指さした。

その社員が色んな角度から写真を撮っている間、「ありがとな」って田中さんに笑顔を向けた。
殺し屋が人を殺(や)る前の笑みだったけど、でもあの社長さんから笑顔でお礼を言われている田中さんが羨ましかったよ。

そしてそれからは、いつものお決まりコース――。

その落書きと田中さんが気に入られ、あれよあれよと成約がポポーンと決まり、その日はなぜだかお土産に泥付き大根を貰った。
なんでも、その会社のビルの屋上の畑で獲れたオーガニックの大根らしい。 
「頂いちゃって、いいんですか!」
わざとらしく喜んだふりを僕はしたが、迷惑だったなぁ、泥付き大根。
 帰りの満員電車の中で、訳分かんねぇよ、付いてけねぇよ、と、何度つぶやいた事か。
第二関節にグイグイと泥付き大根の入ったレジ袋の手紐が食い込み、その痕(あと)が次の日まで残っていたもんな。
妻は、大根を喜んでいたけどさ。

なんで田中楓さんは人の心が分かるのだろう――。

 相撲、落書き、タラバガニ、凧揚げ、指相撲、鳥の群れ、あっち向いてホイ……。

なんで人の心を簡単に忖度できるんだ。

コンプライアンスとか気にかけている僕の方が間違っているのか。
横に座っているこの人はいったいなんなんだよ。

「ねぇ…田中さん……」
エスパーなの? 預言者なの? スピリチェアなんとかなの?

「…………君は、宇宙人なの?」
ずっと黙って考え込んでいる上司に、宇宙人と言われてクスッと笑っている。
「ワタシハ…ニホンジンデス…」
喉をチョップしながら声を震わせて答えてきた。

普段あまり僕の前ではおどけたりしないのだが、勝利の余韻がまだ残っているのであろう。
うふふと少し笑いながら、トートバックをまさぐりだしてスマホを取り出し、
「敬愛している永谷千川係長に、2年前に撮った私の写真をお見せします」
と言いながらモニターをスクロールし始めた。

 敬愛とかまた嘘くさい事を言ってきて…。

どうせあれだろう、ティアラを頭に被って女王様みたいな赤いマントを羽織って『ミスなんとか』とか書かれている白いタスキをつけている写真だろう。
「あった! これだ、信号に止まったらお見せしますね」
もしくは、シャンパングラスがピラミッド型に天井までそびえ立ち、床に四つん這いになったおじさんが3人並んで、その上にも2人いて、その上にヒールを履いたまま何百万もするお酒をタワーのてっぺんからドバドバ注いでいる写真なんだろう。

たくさんの人に愛されている瞬間が収められている写真を、僕に見せるのだろうな。
民衆を操って『楓LOVE』とかマスゲームを作らせているような、そんな写真なのだろう。  


片側3車線の真ん中を走っていた。
信号が黄色に変わり、そのまま行っても構わないようなタイミングではあったが、写真が気になったので少し急ブレーキ気味に踏んだ。バンのタイヤは停止線を少し超えてしまった。
サイドブレーキを引いて、ギアをパーキングに入れたら、「はい」と田中さんがスマホを手渡してくれたので、見た。

田中さんが坊主頭で白装束の格好をしていて、笑顔でピースをしている写真だった。

「何か…宗教をやっていたの…」
あまりに驚いて声を上げそうになったのを必死に堪えた。
「別に、宗教って訳じゃないです、スクロールすれば分かります」

次のページを見ると、笠を被って首に何かを巻いており、登山をする時のような棒を持っている。
江戸時代の旅人のような格好だった。

「もっと、分かんないよ……」
「お遍路さんです、四国88箇所巡りですね……ただ、歩いてお寺をまわって御朱印をもらうだけです、……あれっ信号がもうそろそろ変わるみたいです」
僕はまた、お茶を少し飲んでから、車を動かす準備をした。
「色々あって実家で3日間引きこもりをしてまして、このままだと頭がおかしくなりそうだったので、何かアウトドアな事をしようと思いまして……」
なんて答えて良いか分からず、「ふーん」と答えてしまった。

興味があるような態度をとったら、傷つけてしまうかなと思ってしまったからだ。
大したことではないような素っ気ない返事をしてしまった。
でもこんな写真をみせてくれるのだから、少しは僕に敬意を払ってくれているのかもな。

「でも四国に行って分かったことなんですけど、私、勘違いをしてまして……」
また田中さんはバターサンドを口に入れた。

「お遍路さんやるのに、わざわざ髪の毛を切らなくて良かったんですよねぇ…」
買い物にいったらお財布を忘れましたとか、軽い失敗をしたみたいな口調で言っている。
普通、調べてからそうゆうことをするだろう。

やっぱ……、普通じゃないんだな。

「現地の住職さんがびっくりしてました。ここまで気合を入れてくる若い女性は珍しいって…………あれっ……なんか首がおかしい……痛いかも…」
そう言いながら首を揉み始めた。

田中さんは、自分にもストイックに訳わからない行動をする人なんだなぁ。

でも、お遍路さんをやったからって、人の心が分かる人になるわけでもないだろうに…。
ただたんに、その写真を見せたかっただけなのかなぁ。
 

美容師の友人に髪の毛を切ってもらったらしい
その友人の知り合いの中学生にウイッグとして自分の髪の毛をあげたらしい。
その子が凄くいい子で、手紙のやりとりを今でもしているらしい。
吹奏楽部で全国大会のコンクールに出ているとか。
クラスで気になっている男の子がいるとか。

そんな話を次の取引先までずっと一人で喋っていた。
でも僕は田中さんの話がほとんど頭に入ってこなかった。
どんな『色々』があると、頭を丸めて旅に出るのだろう。
そればかりが気になって仕方が無かった。
それって、人を殺(あや)めてしまったとか、そうゆうレベルだと思うのだが。
とてもじゃないが『色々』を聞く勇気が出なかった。


 田中楓さんの謎が、より一層深まってしまった。 



「今日の晩ご飯なぁにぃ? 何かママちゃんに聞いてきて!」
帰りが遅くなりそうだったので、家に電話をしたら娘が出た。
伝達ミスなのか、本当にそうなのか、
「カブトムシ!」
と元気いっぱいに答えてきた。
もう一回聞いてきて、の問いに「ありのー、ままのー」と突然にプリンセスになって歌いだして、電話を一方的に切られてしまった。 

カブトムシ………。

どんな味付けを施したとしても、きっと苦くて不味いんだろうな。
栄養があるのかもしれないけれど。
レンジでチンする時、まだ生きていたら嫌だな。
はぁぁ、疲れた……。
 部下の田中さんは首を痛めたらしく、早退して病院に行った。
それ以降の商談は、スムーズにいつも通りにできた。

一人の方が楽だなぁ……。

見積書を仕上げなければならないのに、報告書が書けなくて先に進めない。
「おーい大輔君、ちょっといい?」
隣の部所の田中大輔君が、こちらの部所に届け物を置いて部屋を出ようとする所を呼び止めた。
「なんでしょう、千川係長」
「君って相撲詳しいじゃない?」
「小太りなだけです」
二人で、フフっと笑った。僕はこいつ好きなんだよな。
人なつっこい笑顔で、ついイジリたくなる。
「相撲でさ、相手を土俵の外に出す技ってなんてゆうの?」
「押し出しですね、技っていうより、決まり手ですね」
「おお、サンキュー、やっぱ詳しいじゃん」
また飲みに行こうぜ、と軽く彼のお腹を揉んだ。
こうゆう部下だったら、どんなに毎日が楽しい事だろう。
車内の会話も弾むよな。


『相手先の本部長が仕入れ値の値引きを要求されましたが、拒みました。粘り強く交渉をしておりましたが、部下の田中楓が相撲の勝敗で仕入れ値を決定する旨を提案し、それを先方が受諾して頂きました。田中の『押し出し』の決まり手によって白星が当社につきましたので、2019年3月31日まで規定通りの仕入れ値を継続する事と相成りました。』


これをっ………、本当にこの報告書を僕は…提出するのかぁ…。

頭を抱えた。

これを提出しないと、見積書が書けれない。
早く家に帰ってお風呂に入りてぇ…。
でも、今夜の晩ご飯のオカズは、カブトムシ。


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