悪意を持つ度に脳は傷付く


以前に、「中傷を書き込む度に、書き込む側の脳が傷付き、認知症に近付く」旨を書いたのは、noteだっただろうか。?

これは、科学的根拠を踏まえた話なのだが、その話を踏まえると、「悪意を持つ度に、持った側の脳が傷付いてゆく」とも言い替えられるかと思う。

何だかわからないが 弱者だか様々な一企業だかに、悪意を常に向けているような政党に、失言議員や逮捕者が現実として妙に多く出ているのも、そんな脳の傷付きの結果であり、他者に悪意を向けた帰結なのだろう。

同じ人間で、同じ立場でも、同じ事があっても、

悪意を持つ者と、持たない者に、人は分かれる。

そして得てして、普段から悪意的な者は大抵、いざ人道的な行為をしようとしても、それを「適切」に行う力にも欠けている。

普段から悪意的な者は、そもそもそうした目線に欠けているからこそ、気付きも感性も鈍感になり、どんどん悪意に傾く。

その結果、人道的行為を適切に行える配慮にもどんどん欠いてゆく。

今の政府がコロナ禍でも人道的配慮に欠けているのは、それまで内外で悪意をふりまいてきた結果かも知れない。


ちなみに私が某国家機関に勤めた際、職員出入口から入ってすぐ左側にある階段辺りに、妙に気持ちのわるい感覚を持ち、なるべくその辺りを利用しないよう避けていたのだが、急用等で仕方なく使うたびに、全く知らない人から叩かれる等、なんとも不可解で不快な目に遭い、不思議に思っていた。  後に、その階段のすぐ階下の某所で過去に自死があった事を聞いた。 

それは職場での自死であり、おそらく何かの理不尽に対する訴えとしてそこで行った事が想像され、それは何らかの悪意も働いた末の事だったろう。  そして、そんな出来事が過去にあったのだという訴えとして、その再現的に私は上記のような目に遇ったのだろうと考えられる。

何よりも、その職場に日常的にはびこる悪意は、他の同様の機関と比べても半端なく、その各々の姿は、まともな端から見れば、正に、人間ではなく鬼の姿であった。そこでは過去に自死で悪意の勝利となった事で、更に悪意が優位になり続けた、その結果だったかも知れない。一つの悪意が、その悪意に同調する心の者の悪意で、どんどん雪ダルマ的になっているような状態に陥っていた。  勿論、そんな悪意に同意する心を持つ人々に限った事だったが、そうした人々は、同様の心の政権とも当然に仲良くなり、更に悪意の雪ダルマを作り、悪意に手を染めた。

悪意に手を染めた結果、彼ら当人の脳の傷だけには留まらず、そうして進んだ彼らの悪意行為と鈍感さの結果、国も傷ついてしまった。