医師も顕著な二極化のようです。残念なこの世の実話。

免疫疾患も多く診られていて、若い医師の在籍も少なくない筈だのに、
コロナ禍でもオンライン診療を行わない某病院が、東京にあった。

コロナ前までは、院長のメディア出演以後、確実に患者が大幅に増えていた。

しかし何故か突如、患者への通達も完全にされぬまま閉院し、
カルテの引き継ぎも紹介状もない患者が続出した。

元々この病院では、
社会的な差別を受けている患者と、
医者にとって有益な患者で、
対応に随分な差が存在していた。

医者の研究に有益な患者には、評判となるほど手厚く対応していたが、
何らかの差別視を社会から受けている患者の話は、
聞き流してまともに取り合わず、毎回メモすらも取らなかった。
医師にとって何らかの有益となる病状だけ、メモに当たった。
ゆえに、そもそも真っ当なカルテであったかも疑問ではある。

まして、前の病院でも何らかの厄介者として回されて来た患者には、冷たかった。
それが、前の病院の不正行為の隠蔽を目論む「厄介者扱い」だったとしても。

前の病院に背く診断でも行えば、
医師のそれまで培った「評判」や「地位」が危うくなる可能性も生じるからである。
ゆえに別の疾患の可能性があっても、不自然にスルーし続けた。

患者はコロナ禍に悪化をしても、救いの場も、その処方薬も失った。

本当に救いの場であったのかは、定かではないが。

その閉院病院患者の「公式の受入れ先」とは異なる
タワマンで有名な某所の新規病院(前述の病院閉院の翌日に新規開院)に、
その時 既に、
何故か、その院長らの名が特別顧問的に連ねられていた。
まるでトンズラのようだった。

その新規病院の院長は、
閉院した病院の院長の部下と思われる女性医師。

閉院病院とその院長を讃えた挨拶文が書かれ、
閉院病院の院長と、やはり閉院病院に在籍していたある権威の名を持つ医師の名が、特別顧問に連ねられていた。

カルテも引き継がれなかった患者達は
捨てられたも同然である。

しかし寝たきりも多く 社会の偏見にも長年さいなまれて来た患者達は、
集って助け合ったり反旗する事もほぼできない。

集団ではなく個別で隔離された様な環境で、かつてのハンセン病のような状態を、長年過ごして来た。

ネット普及よりも以前からの孤立者達は、
その普及後も、孤立ゆえにネット環境にも恵まれず、更に孤立してゆく事は、決して少なくはない。

そもそも閉院の病院長は、
メディア出演時にも、患者を見下す発言の連続で
炎上にも至っていた。

そのような病院沙汰とは
まるで真逆の医師が 被害者となる惨劇が、
その日、社会には流れた。
病院での診療後に、更に訪問診療に駆けずり回り、「助けたい」と目を潤ます医師だったそうだ。

真摯で責任強い思い遣り厚い者が
この世からいなくなったり悲惨や大変な目に遭い、

己の富と評判を愛する者が
責任を放置放棄して自らラクに徹する事は、
このような今の医療界に限った話ではなかろう。

日本国自体も、それと変わらぬ状態でもある。

無責任に首相職をやり散らかし
その責任は放置し散らかしたままの人物の一声で、
いまだ掌を返す官僚のいる国は、

このままでは、朽ちない訳がない。


2022.1.27筆


P.S.     
犠牲になるのはいつも真摯な人ばかり。

怠け野郎と傲慢野郎は、
この世という修行の場ですら、
「ラクする」プログラミングしか、して来てはいないから。
ましてやこの世の中自体では、
もっとラクして生きようと
「過酷な境遇」と「責任」からは逃げまくるのが、彼らの常であるから。