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仕事から考える、自分の生き方 「頑張りたいのに頑張れない」

こんにちは。田舎中小企業で人事をしているさんちゃんです。

この度、新型コロナにかかりまして、仕事をしばらくお休みしました。そこから自分の生き方について少し考えてみました。

休み前は、体感的には本当に忙しかったです。期限のあるもの、責任のあるもの日々の相談、細々した業務。人事とはいえ、何でも屋さんでした。それがいいと思っていたし、自分の価値はそういうところにあるとも思っていました。

ただ、忙しさが常態化し、段々と息抜きができなくなり、笑顔でいられなくなってきました。目処が立たない。頼れる人がいない、業務的に助けてくれる人がいない。業務としても、新しいシステム導入などもリーダーとして、また作業までしてたので、わからないことの連続。私にとっては、本当にストレスでした。新しいことは好きだけど、ここまで何にも分からない、それでも期限が迫ってくる。日々の業務もある。残業しても、限界がある。でも終わらない。こうして自分がわからなくなっていきました。社内でも特殊な立場だったがゆえ、理解者は少なく、しまいには、周囲の声(後で回り回って聞いた話)が怖くなり、ますます居づらくもなっていきました。

こうして免疫力も下がっていたんだろうと、今になって推測します。だって本当に心身ともに辛かったから。残業○○時間は、一般的には普通なのかもしれません。ただ私には辛かった。家に帰っても自分の時間がうまく取れず、だんだん昼食すら、なんでもいいや、と食事への関心も減ってきていました。

ずっと葛藤していました。「頑張りたい私」と「もう頑張れない私」

どちらも本物でした。だからこそ、頑張りたいのに頑張れない。頑張りたくないけど、やらなきゃいけない。当時、退職者や異動もあり、私がしっかりせねばという気持ちもあり、弱音吐いてられないなあと思っていました。この葛藤自体は、正直1年以上前から感じていました。それでも、たまにゆっくりできる期間があるから、それでなんとなくバランスが取れて、なんとかやってこれました。でも年々忙しくなる業務、増える責任。一生懸命にやってきたけど、ずっとキャパオーバーの状態でした。でもそうして成長するって、実感もあったし、信じてたから。ただ、段々と違和感がまし、私の人生はこれでいいのか?と。

終わらない仕事。疲れ果てる毎日。根拠のない、陰口に晒され、泣く日々。

全然理想とは違う。生きていて楽しくない。そう思い始めていました。

突然ですが、私は本を読むのが少しだけ好きです。いろんな人の考え方が学べるし、面白い。そうして自分の考えをアップデートし実践していくのが、好きでした。そうした本の中で、「自分の考え方、受け止め方次第」だという考えがありました。本当にそうだと思います。だから今の自分はそれがうまくできてないんだと、また自分にダメ出ししていました。

頑張りたいのに、頑張れない。〇〇と考えたいのにできない。また自分の中での葛藤が増えたのです。

私は考えるのが好きです。しかしそれは他人にはわかりません。こんなに悩んでいても、「考えすぎだよ」「考えすぎるのやめなよ」と言われます。

根拠のない「大丈夫だよ」「なんとかなるよ」

おせっかいな「周りの人が〇〇って言っていたよ」

事実のない「仕事取られたくないから、首突っ込んでるんでしょ」

共感する気のない「よく分かるよ」

考えすぎなのも、自分が過敏なのも知っていますが、こういう言葉にどんどん心が削られていきました。

もちろん支えてくれたり、話を聞いてくれる人もいました。そのひとたちのおかげで、なんとか今日まで続いてこれらのですから、本当に感謝しています。

ただ、無意識で上記の発言をしてくる人たちは、当然無意識なのでわかりません。またあの子悩んでるよ、程度でしょう。なんなら、拗らせちゃんくらいに思われていたかもしれません。

そんな状態で戦ってきたものですから、もう何も残ってないのです。

自分が悲劇のヒロインとは思いません。ただの一般人です。また、私が何も悪くないとも思いません。振り返れば、やるべきこと、やれたこと、反省すること、それだってあげたらキリがないくらい、あるのですから。ただそれでも、どうしても「辛い」これは私の中で事実なのです。それだけは、ここに書くことによって、自分でも認めてあげたいと思い、ここまで書いてきました。

頑張りたいのに頑張れない、辛くてもがいている人がいたら、あなた1人ではないということ、全然おかしくないよ、と伝えたいと思います。


着地点の見えない話で申し訳ないですが、また気が向いたら綴っていこうと思います。読んでくださる皆さんが健康で、少しでも心が穏やかな時間を過ごせますように。


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