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●GWプチ旅行記①●南武支線・鶴見線を行く(その2:鶴見線の終点・扇町を目指す)

JR南武支線と鶴見線のプチ旅。川崎市内と横浜市内にあるはずなのに、何故かとても遠くに来たような感覚を受けるくらい、異次元な感じを覚える旅です。前回は、南武支線で浜川崎駅まで来て、その付近を歩いた状況をお伝えしました。(前回の記事はこちら)

今回は、浜川崎駅から一番終点の、扇町駅を目指します。まずは今昔マップで、昭和初期の地図と比べてみましょう。

昭和初期の地図。南渡田運河から南側の陸地は、昭和初期に
新たに埋め立てられた場所。そこに鶴見線の原型となる線路が敷かれました。

今回は、この南渡田運河を渡り、扇町駅のある方向に向かいます。

産業道路と首都高横羽線が通ります。
今も変わらずこの地域の主要幹線道路です。
扇町駅に向かう道を歩きます。
「川崎港郵便局前」バス停。本数少ないかと思ったら、
意外に10分毎ぐらいにバスが走る高頻度路線でした。
川崎港郵便局。川崎市南部の郵便集配拠点です。
かつては国際郵便の拠点だったこともあるようです。

さて、扇町駅方面を目指し、陸橋を越えます。

陸橋を越えます。行き交う車は大型車ばかり。
この陸橋、下は草むらです。こういう場所は恐らく・・・
今昔マップで見ると、やはりこれは浜川崎貨物駅から
デイ・シイ(旧・浅野セメント)工場への引き込み線跡。

浅野セメントは、南武線の前身・南武鉄道と、それにつながる五日市鉄道を敷設した浅野財閥系です。実は、浅野財閥は、これだけでなく、鶴見線の前身・鶴見臨港鉄道も、JFEスチール合併前の日本鋼管も、そして何とこの土地の埋め立てや、京浜運河を作ったのもこの財閥、という地区です。ちなみに埋め立てを行うための建設会社が、今の東亜建設工業の前身です。

運河から見た、デイ・シイの工場付近。
古そうな巨大な桟橋がとても印象的。
上を越えていく橋は、JFEの製鉄所内道路橋のようです。
今昔マップで見ると、ここにかつては鉄道橋が架かっていたようです。
巨大な橋を眺めるのもなかなかいいものです。
様々な工場が見られる風景。鶴見線はこんなところを走ります。
何だか踏切が見えてきました。
が、今はどうやら廃線跡のようです。
踏切の先に続いている線路跡。
1970年代の地図。昭和石油の製油所に続く鉄道跡のようです。
駅前の商店(今は閉鎖?)と、大きな工場。
踏切を渡ると、工場敷地です。「昭和電工前踏切」とのこと。
着いたのは、鶴見線の昭和駅。

鶴見線昭和駅。駅名は、実は隣接する昭和電工(現:レゾナック)の工場にちなんで「昭和駅」を名乗ることになったようです。

かなりレトロな味わいある駅の上家です。
昭和駅の駅名標。
この辺りは津波浸水危険なエリアだということです。
電車、来ました。
隣の扇町駅まで歩きたかったですが、電車が来たので1駅だけ乗車します。
扇町駅に到着。シンプルな形をした終点です。
扇町駅。何だかちょっと寂しい感じもします。
朝夕はもっと人が多いのでしょう。

今回はここまで。たまには工場地帯を歩き、電車に揺られるととても楽しいものです。

■終わりに

浜川崎駅から昭和駅まで歩き、終点扇町駅まで電車で向かいました。沿線の工場は、旧浅野財閥系の会社が多く、ある意味鉄道も経営した財閥が開発した工場地帯を見て歩くことができたかと思います。

次回は、鶴見線で少し戻った先で散策しますので、引き続きお楽しみに!

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