般若心経を調べてみた

ある日、にこにこ動画を見ているとおすすめトピックに「般若心経」をポップなミュージックに乗せて唱えている動画を見つけた。

お経とポップなミュージック、合わないのでは?と思ったがこれが結構イケており、ついつい聞き続け心地の良い気分を感じていた。ポテチにチョコレートをかけた発想のように、合わないと思われるものを足し算すると驚きの発見があるのかもしれない。

※ちなみに、こちらの動画youtubeにもあがっており、2021/9/23現在60万再生以上されている人気のコンテンツである。

そして、このことがきっかけで般若心経に興味を持ち自分でも本を読んでみて、自分が知ったことをnoteにまとめさせていただいた。

参考にした本が、笑い飯哲夫(著)『えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経 (ヨシモトブックス)』。書かれている内容の多くがくだらないことだが、般若心経の全体像をつかむには良い本だと思う。

ここから、般若心経の解説に移りたい。

そもそも般若心経とは、玄奘三蔵(西遊記に出てくる三蔵法師のこと)がインドから中国に持ち帰ったお経をサンスクリット語から中国語に翻訳したものである。

般若心経はひとつのストーリを表していて、観自在菩薩という人物が仏陀の弟子のひとりであるシャーリプトラに対して話をしている様子を描いている。私は、当初般若心経をおまじないのようなものととらえて、唱えれば幸せになるものなのかなと思っていたが、そうではないらしい。

具体的な内容だが、

ある日、仏陀の10人の弟子の中で一番頭が良いとされているシャーリプトラ(般若心経では舎利子と出てくる。ちなみに舎利子の「子」は孔子・孟子の「子」と同じように敬称のようなもの)が観自在菩薩に、「悟とはどういうことなのか」という質問をし、それに対して観自在菩薩が回答する。

※学校でも頭の良い生徒ほど、先生に質問に行くがそれと同じようなものである。

「悟りとは何か」という質問に対する、観自在菩薩の答えが般若心経の中身である。観自在菩薩の答えをすべて話したいが、ブログにまとめるのが大変なので、自分が「おおー」と思ったポイントのみ書かせていただく。

般若心境には

相手も自分も、その辺の草木も動物も全部同じものという考え方がある。


これはどういうことかと説明すると、

例えば、私が魚を食べたとする。するともともとは別のものだった魚が自分の体の一部になる。そして、私が排泄すると、その排泄物(私の細胞を含んだもの)が海や土壌に流れて生物や植物が栄養として取り込まれ、生物や植物の一部になる。その生物や植物を別の人が食べる。その生物や植物が、食した人の一部になる(もっと言うと微々たるものだが、自分の体の一部だったものがどこかの知らない人の一部にもなる)。結果として、自分の体の一部は相手の体の一部になり得るし、相手の体の一部も自分の体の一部になり得るという考え方である。


そのため、一見すると個別のものでも全体でみると循環して回っているだけで同じものであるとする考え方である。


個人的な感想を聞かれると若干上記の話は「風が吹けば桶屋が儲かる」的なニュアンスを持ってしまうが、一方で納得できたポイントとしては


相手は別の人間だが自分の一部でもあるため、相手を傷つけてはいけない。なぜならば相手を傷つけるということは自分の一部を傷つけることになってしまうから。


という説明もできる点である。


「なぜ他人を傷つけてはいけないのか」・「なぜ他人の悪口を言ってはいけないのか」という質問たびたび耳にするが、その答えとして、個人的に一番しっくりできた内容だった。


案外過去の哲学や宗教的な考え方を学ぶことで、自分の人生の問題を解くうえで役に立つことがあるかもしれない。


今回読んだ本:

『えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経 (ヨシモトブックス)』 著: 笑い飯 哲夫


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